昨日の当ブログで、京マチ子さんが『羅生門』(1950 黒澤明監督)に出演、「グランプリ女優」となるには、偶然のタイミングが運よく重なった話を書きました。(もちろん、そこで生じたチャンスに食らいついた京マチ子さんの女優魂があったからこそですが) 東宝の黒澤明監督が大映京都で撮ることになったこと、主演に予定していた原節子さんがスケジュールがとれず出れなくなったこと、そしてもう一つの「運」もありました。
東宝争議のあおりで他社で撮ることになった黒澤明監督を迎えた大映は『静かなる決闘』(1949 黒澤明監督)に続いて『羅生門』を製作。羅生門の巨大オープンセットを建造、どしゃ降りの雨のシーンでは消防車3台を出動させ、消化ホース5本から墨汁入りの雨を盛大に降らすなど、かなりの予算もかけました。それほど力を入れたので、大映の上層部の人たちは「どんな傑作になっているか」と期待しました。そして『羅生門』が完成して、本社で試写が行われました。
試写が終わると、いつもだったら、「これはいけるでぇ!」とか、あるいは「こらあかんなあ」「こら売りにくいわ」といった声が飛び交うのですが、このときは重役たちは誰も何も言わなかったそうです。シーンとしたまま、皆、永田雅一社長の顔を眺めます。永田社長もしばらく考えたあと、一言、「何かよう分からんけど高尚なシャシンやなあ~」と言ったそうです。永田雅一さん(通称・ラッパさん)は元は京都千本組の身内だったこともあり、戦前、映画の現場で雑用や見学者の案内をしていた叩き上げの人です。いかに「儲かる」映画を作るかというカンにすぐれていて、「化け猫」映画などヒット企画を生み出します。いわば、大衆受けするものが「良い映画」なわけです。そんなラッパさんにしたら、観念的な『羅生門』は「高尚なシャシン」というのは正直な感想でしょう。
興行的にも思ったほどではなかった『羅生門』ですが、たまたま来日していたイタリアの映画会社の女社長が観て気に入り「ヴェネチア国際映画祭に出したらいい」とアドヴァイス。大映としては、出品するには「字幕スーパー」入れたりでお金がかかるので渋っていたそうです。それ以前に、ラッパさんも重役たちも「ヴェネチア国際映画祭」なんて知らなかったという話もあります。何の期待もせず渋々出した『羅生門』が何とグランプリを獲得。一報を聞いて「グランプリって何や?」と言ったラッパさん、手のひらを返したように、溝口健二監督などの巨匠を起用して海外の映画祭を意識した作品を作り始めます。ここには、ラッパさんのもう一つの特徴「学歴コンプレックス」もあったでしょう。
ともかく、イタリアの映画会社のおばちゃんが一言言わなかったら、『羅生門』もヴェネチア国際映画祭に出品されることもなく、黒澤監督、三船敏郎さん、そして京マチ子さんの運命も大きく変わっていたかもしれません。  (ジャッピー!編集長)
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