朝ドラ「なつぞら」で、今日は久々に「川村屋」が出てきました。なつ(広瀬すずさん)が兄の消息を知るために上京して訪ねた所で、「東洋動画」の試験を受けるまでしばらくここで住み込みで働いていました。
この「川村屋」のモデルはもちろん「新宿中村屋」です。現在も新宿東口に店を構える老舗です。「なつぞら」の劇中でも語られていましたが、ここの本格的な「純印度式カリー」はひとりのインド人がもたらしたものでした。それまでの「カレー」は、小麦粉でたっぷりとろみをつけたイギリス仕様の料理でした。当時、インドを統治下においていた英国が「カリー」を本国に持ち帰りアレンジした「カレー」が日本に渡ってきたのです。
この英国式カレーに不満で、本格的なインドのカリーを食べてほしいと言ったのがラス・ビハリ・ボースさんという方です。この方はインド独立運動に身を投じ、英国政府から追われ、日本に亡命しました。1915年(大正4年)のことです。当時の日本は、アジアの一員として、独立運動に対し共感を寄せていたのでしょう。日英同盟を結んでいたため、イギリスから政府にはボースさんを国外退去させろと圧力がかかりますが、民間ではこれに反発する動きもあったのです。この当時だと、「明治維新」の記憶などもまだ語り継がれていた時代だったので、おそらくボースさんは「志士」のように見えたのではないでしょうか。「維新の志士」を応援、匿うような感覚があったのかもしれません、ボースさんをお店の裏に住まわせたのが「新宿中村屋」の創業者・相馬ご夫妻でした。そして匿われている間にボースさんが印度式カリーを作ってふるまったそうです。のち、ボースさんは相馬ご夫妻の娘さんと結婚、帰化されます。
やがて、第一次世界大戦も終わり、自由の身となったボースさんは1927年(昭和2年)に「純印度式カリー」をメニューに加え発売を始めます。それが6月12日だったということで、今日、6月12日は「恋と革命のインドカリーの日」となったのです。うどん粉の入ったカレーに慣れた当時の人にとっては未知の味だったでしょうね。
このエピソードを、昔「新宿中村屋」のメニューに書かれていた説明で知ったとき、思い出したのは「われに撃つ用意あり READY TO SHOOT」(1990 若松孝二監督)です。この映画では、マフィアと警察に追われる台湾の若い女性を元・全共闘闘士の原田芳雄さんや桃井かおりさんが匿い救います。「新宿中村屋」の時代から、新宿という街は、はみ出し者も無国籍者も集まり、共感と連帯が生まれえた街だったんだなあと思ったのでした。  (ジャッピー!編集長)
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