昨日、日本ハム・ファイターズのルーキー、吉田輝星投手が一軍初登板・初先発で見事に勝ち投手となりました。これには驚きました。二軍(イースタン・リーグ)では0勝3敗、防御率もあまり良くありません。二軍では5回まで投げたこともありませんでしたから、いわゆる最近流行りの「ブルペン・デー」という感じで勝ち投手の権利がつくところまで投げるとは思っていなかったのではないでしょうか。しかも、相手は、交流戦に入って調子が悪いとはいえ、3連覇中、セ・リーグ首位を走る広島カープです。首脳陣も一軍の雰囲気を経験させるぐらい「腕試し」ぐらいの気持ちで送り出したら、初勝利で驚いたかもしれません。吉田輝星くんはやっぱり「持って」いるのでしょうか。昨年のドラフト会議では、即戦力投手を指名した西武ライオンズ以外の11球団の1位指名が根尾くん、藤原くん、小園くんに集中、吉田くんは「はずれ1位」だったわけですが、2軍にいる彼らより先に「結果」が出たわけです。(投手と野手の違いはありますが)
この吉田輝星くんが高校時代に通っていたのが「クドウ・スポーツ」という野球用品店です。「金足農」ブームに沸いた夏の甲子園で使っていたグローブも「クドウ・スポーツ」で購入したものです。この「クドウ・スポーツ」を開いた人が、何と工藤幹夫さん。奇しくも吉田輝星くんの入った「日本ハム・ファイターズ」の先輩になります。
工藤幹夫投手は秋田の本荘高出身、1978年のドラフト2位で入団します。3年目の1981年に2勝をあげ、ジャイアンツとの日本シリーズ(後楽園シリーズと呼ばれましたね)では、1勝あげました。そして、翌1982年に大ブレイク。何と20勝4敗という大活躍。球の勢いがあり、サイドスローですが、パワーピッチャーでした。最多勝、最高勝率、ベストナインなど獲得しました。日本ハムでは、この工藤幹夫投手以来、20勝投手は出ておりません。
工藤幹夫投手というと、何と言っても、大沢監督が「三味線を弾いた」この年のプレーオフですよね!
当時、パ・リーグは「2シーズン制」をとっており、日本ハムは後期優勝します。ところが、工藤投手は9月に入って右手小指を骨折してしまいます。前期優勝の西武ライオンズとのプレーオフは絶望的と言われました。実際、決戦が迫っても、手にギプス、包帯を巻いていて投球練習していないと報道されました。大沢監督も「工藤は無理」と言っていました。ところが!何と第1戦に先発してきたので、ライオンズも観客もビックリ仰天。スポーツ記者に気づかれないよう極秘に練習をして投げられるようになっていたのです。工藤投手は6回を好投しましたが、リリーフの江夏豊投手が打たれ敗戦。すると、第3戦にまた工藤投手が先発、中1日で見事完投勝利をおさめました。これがこのプレーオフで日本ハム唯一の勝利で日本シリーズには出れませんでした。
このとき、無理したのがたたって(まだ骨がくっついていなかったのです)、工藤投手はフォームを崩し肩を痛めてしまいます。翌1983年に8勝したのを最後に勝ち星をあげることが出来なくなり、プロ通算30勝で引退となってしまいます。たしか、最後は野手に転向したと思いますが、成功しませんでした。引退のとき28歳。たった1年だけ輝いてプロ生活に別れを告げたのです。あのプレーオフで酷使されなければ……と考えると残念ですが、こうして強烈な印象を残しているのですからプロとして幸せなことかもしれません。工藤さんは秋田に帰り、「クドウ・スポーツ」を開店、地元のクラブチームの指導などされていたそうです。惜しくも、2016年5月13日に55歳という若さで亡くなってしまいます。(吉田輝星くんとは面識なかったのです) プロ生活も人生も短く終わってしまった工藤幹夫さんの分まで、秋田と日本ハムの後輩として吉田輝星投手には頑張ってもらいたいですね。
(ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!