6月11日の当ブログで、倉本聰さんが自身のシナリオを撮影にあたって一字一句たりとも直させないため、『冬の華』(1978 降旗康男監督)の監督が交代となった話を書きました。萩原健一さんは『前略おふくろ様』であえて、倉本聰さんに縛られる形を自分に課したことも書きました。(当ブログ6月12日「ショーケンと倉本聰さんの完璧シナリオ」参照) 
完成したシナリオを直したり、口出しすることを許さなかった倉本さんですが、書く前はいろいろ周りの人の話からアイデアを得たりしていたようです。大河ドラマ『勝海舟』で萩原さんが演じた人斬り以蔵が坂本龍馬にゲイ的な思いを抱くという設定も、ショーケンがふと提案したと倉本さんが回想していますし、『前略おふくろ様』も、萩原健一さん初のソロ・アルバム『惚れた』に入っていた『前略おふくろ』という曲を倉本さんが聴いてインスパイアされたという説があります。
当時、ショーケンと倉本さんはよく電話で話し込んでいたそうで、そういうときに雑談したことが、よくシナリオに反映されたそうです。ショーケンと桃井かおりさんがプライベートで話したやりとりなんかも倉本さんに話すと、そのまま使われたりしたこともあったそうです。倉本さんにしてみたら、実際に体験したことや喋ったことを取り入れて、劇中の役を演じる俳優の個性をさらに際立たせようとしたのでしょう。ショーケンは「自分が言わないことを言ったり、やらないことをやるから芝居なんだ」と、倉本さんのこの手法にはちょっとシラケた感じもあったという感想をもらしています。でも、脚本家としては、街や電車の中で人間観察するのと同様に、俳優も観察対象としていたのだと思います。実際、パーティなどで、倉本さんはいろいろな俳優の話を聞いていたそうです。
しかし、倉本さんがいろいろ話をきいてくるので、ショーケンの方が煮詰まってしまったそうです。それでも「面白い話、エピソード」を求められるので、ショーケンも「倉本さんに受けよう」と、話を盛ったり、嘘をつくようになってしまったといいます。ショーケンにしたら、自分を俳優として認めて大切にしてくれた倉本さんに尽くしたい気持ちだったと思います。しかし、そのあまり嘘をつき始めたことに自分でも「危険」だと思ったショーケンは倉本さんと距離を置くようになったといいます。(それだけではないでしょうが)
ともかく、ある時期、ショーケンと倉本聰さんは共闘関係という感じでドラマの地平を拓いていったのです。その後、疎遠になってしまいましたが、倉本さんは萩原さんの訃報に「観察力、吸収力、表現力、三拍子そろった天才だった」とコメントしておられました。 (ジャッピー!編集長)
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