当ブログ2017年1月27日、28日に書きましたが、1974年の大河ドラマ『勝海舟』の主演の渡哲也さんは病気のため序盤で降板しました。脚本を担当していた倉本聰さんの盟友・中島貞夫監督の推薦もあって松方弘樹さんが代役をつとめました。
渡哲也さんは闘病生活に入り、東大病院で面会謝絶となってしまいます。それを破って強引に面会に訪れたのが深作欣二さんです。渡さんはそれまで東映の作品に出たことはありませんでしたから深作監督の作品にも出たことはなかったですが、「その前から、ショーケンやウチの弟に言われていたんですよ。サクさんとやらなきゃ男にならんぜと」と語っています。
ショーケンとのつながりは『勝海舟』での共演ということでしょう。東映の俳優である渡瀬恒彦さんは『仁義なき戦い』(1973 深作欣二監督)をはじめ、深作さんとの関わりは深いですが、ショーケンの方はテレビの『傷だらけの天使』で深作さんと出会っています。当ブログ4月8日「『太陽にほえろ!』から『傷だらけの天使』へ」で書いたように、ショーケンの不満から生まれた『傷だらけの天使』は、有名監督を起用、映画さながらの作り方で撮っています。その先陣を切ったのが深作欣二監督『ヌードダンサーに愛の炎を』(放映は第3話)でした。映画さながらの撮影なので最初から予算も日程も大幅にオーバーしてしまいます。しかし、充実感があったのでしょう。それが、渡哲也さんへの「サクさんとやらなきゃ~」という発言になっているのでしょう。
1年に及ぶ入院の後、渡さんは『仁義の墓場』(1975 深作欣二監督)で復帰します。病み上がりということもあるのか、鬼気迫る演技で代表作になりました。ところが、ショーケンの方は深作監督の映画本篇でのタッグの機会はなかなか訪れず、実現するのはずっと後、『いつかギラギラする日』(1992 深作欣二監督)まで待たねばなりませんでした。この出演までの経緯が渡哲也さんのケースによく似ているのです。
1991年、ショーケンは病気になって大河ドラマ『太平記』を途中降板(代役は根津甚八さん)していますが、順天堂大学病院に入院しているところに深作監督がお見舞いに来て、5冊の脚本を持ってきて「治ったら一緒にやろうや」と声をかけたのです。その中の1本が『いつかギラギラする日』となり、ショーケン・深作監督が初めて組んだ映画となったのです。(残念ながらこれ一本になってしまいましたが……) 大河ドラマを病気降板→入院→深作さんのお見舞い→映画初タッグ、と不思議な符合で『仁義の墓場』『いつかギラギラする日』2本の名作が生まれたのでした。
『いつかギラギラする日』は明日、新文芸坐「萩原健一追悼上映特集」の最終日に上映されます。『誘拐報道』(1982 伊藤俊也監督)と二本立てです。是非ご覧になってください! 
(ジャッピー!編集長)
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