昨日の当ブログ「田中絹代さんの女優魂」でふれたように、『サンダカン八番娼館・望郷』(1974 熊井啓監督)における田中絹代さんの演技は心をうつものでした。かつて貧困のため、海外に売春婦として売られていった「からゆきさん」を取材する研究者(栗原小巻さん)が訪ねるのが、老境に至った田中さん演じるおサキさんです。家族のために売られていったのに、帰国すれば家族たちからも疎んじられ、あばら家のような家で暮らすおサキさん。かつての国民的アイドル女優だった田中さんが老醜をさらし、国家からも家族からも見捨てられた受難の人生を経て達した優しさを見事に体現しました。こういう演技を観ると、最近のベテラン女優は老女を演じても、綺麗すぎるというか、「さらす」覚悟がないように思えますね。
この作品で各映画賞で女優賞を独占した田中絹代さんに、脚本家の成沢昌茂さんがお祝いの電話をかけました。成沢さんは溝口健二さんの弟子にあたり、溝口監督の遺作『赤線地帯』(1956 溝口健二監督)の脚本を書いていまがす。かつて溝口監督の数々の名作に出演した田中さんとは親しくしていたのです。成沢さんが「間のとり方や雰囲気の作り方がよかったですね。相手との調和のとり方は監督をされたことが役にたったんだと思います」と言うと、田中さんは大変に感激されたといいます。そして、「地獄で会うか、極楽で会うか、溝口健二に会ったら言ってやります。田中の『サンダカン八番娼館・望郷』をご覧くださいと。田中の演技には、監督をやったことが役に立っていますとね」と言ったそうです。
というのは、田中絹代さんが監督に進出すると聞いて溝口さんは猛反対、バックアップする小津安二郎さんに「絹代のアタマでは監督はできません」などと言ったことがあったからです。田中さんの中には成沢さんの称賛の言葉に、溝口監督を見返したという思いがあったのでしょう。田中さんは『恋文』(1953 田中絹代監督)を皮切りに、『月は上りぬ』(1955 田中絹代監督)、『乳房よ永遠なれ』
(1955 田中絹代監督)、『流転の王妃』(1960 田中絹代監督)、『女ばかりの夜』(1961 田中絹代監督)、『お吟さま』(1962 田中絹代監督)と10年間で6本の映画を監督されています。僕は6本とも観ていますが、どれも良く出来た作品で、決して話題性だけの監督ではなかったことを感じます。最初の二作『恋文』『月は上りぬ』はそれぞれ脚本の木下恵介さん、小津安二郎さんの雰囲気が強いですが、『乳房よ永遠なれ』以降は女流監督ならではの視座が定着してしっかりご自分のカラーのようなものが出ていると思いました。『お吟さま』もよく出来た作品だったので、以後も続けていたら監督としても一流になっていた可能性があったと思います。
田中絹代さんは監督をやる前、『あにいもうと』(1953 成瀬巳喜男監督)に助監督として参加、成瀬監督は田中さんに「スターの意識を捨てること」「自家用車に絶対に乗らないこと」「撮影30分前には必ず撮影所に入ること」「セット内では腰をかけぬこと」など厳しい条件を出して受け入れました。田中さんもきっちり修業してのぞんだのですから水準以上の作品が撮れたのでしょう。かつて、各映画会社の撮影所が機能していた頃は「監督」というハードルは高かったのです。
最近は、名前が売れると誰でも監督をやるような時代ですが、独りよがりな作品も多くうんざりすることも多いですね。
(ジャッピー!編集長)

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