ひとつ前の当ブログで書いたように、『お吟さま』(1962 田中絹代監督)を最後に田中絹代さんがメガホンをとることはなくなります。観客動員が次第に下がっていって製作本数も縮小になったり、映画界のいろいろな状況もありますが、病気で寝たきりのお兄さんの介護もあったといいます。業病を知られたくないため、派出婦を雇えなかったので、長く付き人をしていた男性と二人で食事から下の世話までしていたそうです。それで、女優業の仕事も少なくしていましたが、その兄が1970年に亡くなり、田中さんは仏壇のお母さんに「全部の兄弟の面倒を見ましたよ」と言ったそうです。
そして女優に復帰しますが、すでにテレビの時代になっています。田中さんは「テレビの小さい画面」は好きではなかったそうですが仕方ありません。大河ドラマ『樅の木は残った』に出ます。そして、テレビドラマでは何と言っても『前略おふくろ様』です! 当ブログでも何度も取り上げました(2017年1月28日「『勝海舟』から『前略おふくろ様』」、2019年6月12日「ショーケンと倉本聰さんの完璧シナリオ」、6月17日「ショーケンと倉本聰さんの共闘関係」など参照)が、この『前略おふくろ様』は、倉本聰さんが自分のお母さんをモデルにしています。田中さん演じるお母さんは少しずつ認知症(←当時はこの言葉はなかった)気味になっていく感じで、実際の倉本さんはお母さんの介護でご苦労されたようです。劇中、サブちゃん(萩原健一さん)が田舎に残したお母さんに呼びかけるモノローグ、そして田中さんの独特のエロキューションで読まれる手紙……、リアリティがあるわけです。僕はこのドラマ、大好きだったのでまた観たいと思っていましたが、自分の母親が認知症になってしまった現在、ちょっと辛くて観れないというのが正直な気持ちです。
ショーケンは田中絹代さんに大先輩ということもあって「田中先生」と呼びかけたら、「先生と言わないで。お母さんと言って」と言ったそうですから、普段から母子の役作りに入っていたのかもしれません。ショーケンは田中さんが今まで出てこられた巨匠たちの話をずいぶん訊いたそうです。田中さんは「あの方々は、人の魂を食べて生きている」と答えたといいますから、かつての監督と女優の激闘ぶりが分かります。
そして、1977年3月、田中絹代さんが亡くなったのは『前略おふくろ様2』の劇中、サブが母の死を知る回の3日後でした。翌週の回の葬儀シーンは、演じていた田中絹代さんご自身の死とシンクロした感じでよく覚えています。まるで、ドラマに合わせたような……そういう意味では「舞台の上で亡くなった」ような女優冥利につきる亡くなり方だったようにも思います。
田中絹代さんが亡くなったのは67歳。考えてみれば、ショーケンの享年は68歳ですから、あのときの田中さんの年齢を越えたわけです。昨日、大河ドラマ『いだてん』でショーケンが高橋是清役で出ておられました。出番は少なかったですが、さすがの貫禄と存在感でした。田中絹代さんと同じように死ぬまで、役に没頭したのだなあと感慨深いものがありました。  (ジャッピー!編集長)
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