8月5日のブログに書いたように、人生初の入院生活を送りました。これまで病院に縁がなかったので知らなかったのですが、今の病院って、何かするたびに「名前」と「生年月日」を訊かれるのですね。「患者間違い」による事故が起こらないよう徹底されているのでしょう。診察室に入ると、「お名前と生年月日をおっしゃってください」と言われ、僕がそれを言って診察が開始されます。病室のベッドに看護士さんが来て点滴薬を変えてくれるときも「名前と生年月日」を言って、それを薬に貼られたシールの名前と確認します。本当に徹底していて、ほんの5分前ぐらいに会ったのに、また同じ看護士さんが病室にやってきて「お名前と生年月日を」ときかれるのです。ここまでやる!?という感じですが、命に関わる職場ですから万が一ということがあってはいけませんから当然なのですね。

と、そんな風にこの入院期間、毎日何度も「自分の名前」を口にし、今までこれほど自分の名前を声に出して言ったことはなかったなあと気が付きました。書類や原稿などで「自分の名前」を書く機会に比べると、口に出して言ったことは少なかったなあと。そして、病院のベッドに横たわりながら、「自分の名前」を付けてくれた親に思いを馳せたりしたのです。

僕の名前は母親がつけてくれたのですが、石坂洋次郎さんの小説「陽のあたる坂道」の主人公にちなんでつけたのです。坂道をあがった所にある一見恵まれた家ですが、主人公の次男坊が妾腹で、長男、妹とちょっと複雑な関係になっています。ちょっとひねくれた所もありますが、根は屈託なく真っ直ぐな主人公。漢字は違いますが、僕の名前はその主人公と同じ「読み」です。

当時、石坂洋次郎さんの小説はよく読まれ、また映画化された作品も多く、『陽のあたる坂道』(1958 田坂具隆監督)も当時人気絶頂の石原裕次郎さん主演で映画になっています。裕次郎さんがこの主人公を伸びやかに演じピッタリでした。裕次郎さんにとっても、それまでの『狂った果実』(1956 中平康監督)や『嵐を呼ぶ男』(1957 井上梅次監督)といった、太陽族やアクション映画のイメージから脱し、真に国民的スターとなったターニングポイントにあたる映画です。そんなこともあって、

僕の兄が病弱(のち、中1のとき亡くなります)だったこともあると思います。母はきっと健康で伸びやかな子どもになってほしいと僕の名前をつけたのでしょう。母は映画好きだったから、もしかしたら裕ちゃんのイメージも重ねたかもしれません。それなのに、僕はこんな人間になってしまった……という悔恨。
僕の名前の由来?ということもあって、この『陽のあたる坂道』は名画座でかかるたびに観に行く特別な作品になっています。そして、観る度に感じるそんな悔恨や名前をつけてくれた母親への思いはずっと自分の中にあったのですが、今回の入院で身動きできない体でまた考えてしまいました。全身麻酔で手術、看護士さんたちにもいろいろ面倒をおかけしながら、自分にはこうまでして生きながらえる価値があるのか、思いをこめて名前をつけてくれた親に少しでもこたえているのか、誰かのための「一滴」になっているのかと頭の中でぐるぐると繰り返したのです。 (ジャッピー!編集長)


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