ひとつ前の当ブログに書いたように、吉本興業の社長が「ウチはファミリー」と称して、契約書も交わしていないのは今の世の中では考えられません。いまだに創業当時のままというのは、「伝統」というより、経営側に都合がいいから放置していただけでしょう。6000人もタレントを抱えて年商1千億円といわれる大会社のやることではありません。

「吉本興業」の創業者・吉本泰三さんは元々、荒物問屋の何代目かの主人でしたが、遊び人で芸人相手にパトロン気取りで散財して店を潰してしまいます。それで、天満天神近くの寄席を買い取り経営を始めるのですが、これが1912年(明治45年)のことです。奥さんの「せい」さんがしっかり者で、以後ほとんど「せい」さんの商才で拡大していきます。山崎豊子さんがこの「吉本せい」さんをモデルにして小説「花のれん」を書き、直木賞を受賞しました。僕は映画化された『花のれん』(1959 豊田四郎監督)を観ました。主演の淡島千景さんがこの気丈な女経営者にまさにピッタリの好演でした!

吉本泰三さんは経営をほとんど「せい」さんに任せきり、相変わらず遊びが止まず、愛人の家で急死してしまいます。34歳にして夫を亡くした「せい」さんは、以後、自分の実弟・林正之助さんを片腕に吉本興業を広げていきます。また、東京進出を果たし、もう一人の実弟・林弘高さんを東京支社長に就かせますから、まさに「ファミリー」です。こうして、浅草に「浅草花月」をオープンし、「文芸」「映画」「宣伝」の3部門が創設されます。こうして勢力を伸ばしていくには競合する興行会社との間に色々な争いも当然ありました。昭和になってすぐ、漫才(当時は「万歳」)の人気が高まり、松竹の白井松次郎さんが吉本所属の芸人を引き抜こうとすると、林正之助さんは松竹本社に乗り込んで「今後、うちの芸人を触れるものなら触れてもらいまひょ。その代わりそうなされることは、白井さんの命と引き換えになりますが、それでもよろしければどうぞ」とヤクザ顔負けの恫喝を行ったと言われています。あ、これ、岡本昭彦社長が田村亮さんに言ったとされる発言「謝罪会見やりたければやればいい。その代わり連帯責任で全員クビやぞ」によく似ていますね。そういう意味では、岡本社長は吉本の遺伝子をしっかり受け継いでいる人と言えるかも。

また、1940年(昭和15年)には、吉本興業がマネジメントしていた人気浪曲師・広沢虎造さんに会社を通さず映画出演を依頼した日活に対し、「山口組」が広沢さんの身柄を拘束、撮影に行かせないという事件も起こります。神戸の「山口組」は当時、吉本の後ろ盾になっていたのです。これって、つまり「闇営業」がこじれたわけですよね。本当に歴史は繰り返すものだと思います。ちなみに、このとき日活の依頼を仲介した「籠寅組」は面子をつぶされたと、「山口組」に殴り込みをかけ、組長の山口登さんはこのときの傷が原因で亡くなります。もちろん、これらの話は映画『花のれん』にも朝ドラ『わろてんか』にも出てきませんでした。

こんな暴力団抗争まで引き起こしたのを見ると、まさに「ファミリー」というのが『ゴッドファーザー』(1972 フランシス・フォード・コッポラ監督)のように思えてしまいます。そういえば、マーロン・ブランドさんは『ゴッドファーザー』出演にあたり、「容赦なく巨大な組織にふくれあがっていくプロセスがアメリカの巨大企業そっくり」と述べています。  (ジャッピー!編集長)


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