昨日、甲子園大会の準決勝2試合が行われ、星稜高と履正社高が勝ち、明日の決勝戦に臨むことになりました。両校とも、多くのプロ野球選手を輩出しているので、優勝したことがあるかと思いましたが、意外にもどちらが勝っても初優勝なんですね。そういえば、星稜は決勝戦で帝京高に負けたことがありました。また、優勝候補といわれながら、松井秀喜選手が明徳義塾高に5打席連続敬遠されて負けた試合がありましたね。この作戦に対してずいぶん賛否が巻き起こりました。ともかく、両校とも力を出し切って悔いのない決勝戦にしてほしいものです。

僕が今まで観てきた夏の甲子園の決勝で一番印象に残っているのは、やはり1969年(昭和44年)の松山商VS三沢高の試合です。延長18回で引き分け再試合になった対戦です。翌日の再試合も一人で投げ抜いた三沢の太田幸司投手が爆発的な人気を集めた年です。僕はこの年、沼津の親戚の家に預けられ、ひと夏を過ごしたので、この家のテレビで観ていました。クーラーもなく、窓を全開にしてセミの鳴き声を聞きながら、1回からずっと観戦、いつ、点が入るかとドキドキ、ハラハラしたのを覚えています。特に延長に入ってからは、三沢が後攻だったこともあって、いつ「サヨナラ」で終わるか目が離せなくなりました。そう、やはり三沢の方を応援していましたね。当時、明らかに三沢高の方を応援する方が多かったと思います。「甲子園のアイドル」となって女子人気(すごかった!)を集めた太田幸司さんということもありましたが、「判官贔屓」みたいな部分もあったと思います。僕も松山商という甲子園常連の名門校に対する東北の無名の高校を応援するという気持ちでした。子どもの頃から権威や強豪が嫌いという性格だったのです。(当然、絶対的なジャイアンツ嫌いでした) 三沢は前年1968年夏、1969年春のセンバツに出て、3大会連続出場でしたが、まだ新参校。しかも当時は北海道や東北は弱い時代でした。今でこそ、東北地方は好投手が多く出るし、強豪校もありますが、練習場やトレーニング法が発達していなかった当時は圧倒的なハンデを背負っていたのです。

試合は0対0のまま井上明投手と太田幸司投手が投げ合い18回を終え、翌日!に再試合。松山商は継投策をとりましたが、太田投手は再試合もひとりで投げ抜き、結果2対4で負けてしまいます。この試合も僕はテレビから離れず観たのですが、何というかそれほど「悔しい!」という感じがしなかったのをはっきり覚えています。いや、悔しいのは悔しかったのですが、爽やかというか、ここまで来ると「勝ち負け」を超えてスッキリした気持ちになったのです。太田投手は二日連続の決勝戦どころか、その前の準決勝、準々決勝も完投しているので4日連続で45イニングを一人で投げ切ったわけです。今だったら「酷使」ということで監督や学校が批判されてしまいますねえ。

負けてしまいましたが、追っかけも出るほど人気のあった太田幸司投手に強豪校にひとりで立ち向かった「ヒーロー」性も加わり「コーちゃん」ブームは最高潮になるのでした。あと、太田投手とバッテリーを組んだ捕手が「小比類巻」くんという名字で記憶に残っていました。ずっと後になって「小比類巻かほる」さんという歌手が登場したときに思い出したのでした。かほるさんも青森出身なのかな? 

あの、沼津の海が近い家で蝉時雨を聞きながら観た甲子園大会の決勝。あれから50年か……。時の流れのはやさをまざまざと感じます。  (ジャッピー!編集長)


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