昨日の決勝は履正社の打線が星稜の奥川投手を攻略、優勝しました。北陸勢初の優勝は逃しましたが、星稜も最終回まで粘り、好試合でした。子どもの頃は、夏の甲子園が終わると、夏休みが終わりに近づいていることに気づかされて焦ったものです。それまでダラダラ過ごしていたのが、急に一日一日の休みが貴重なものに思えて……でも結局は何もできないまま2学期の始業式を迎えるというのが毎年のパターンでした。

大船渡高校の佐々木朗希投手の登板回避もそうですが、選手(特に投手)の酷使に対していろいろ言われています。タイブレークなんて方式も取り入れられました。個人的には、初めから走者を置くなんて何だか違うスポーツのように思えますが、時代の流れでしょうか。球数制限なんかも検討されていますから、これからはめったに「完投」が見れなくなるかもしれません。

今までも、規制が作られたことはあります。21日の当ブログに書いたように、1969年夏の三沢高・太田幸司投手が決勝18イニングで引き分け再試合になりましたが、そもそもこのルールはかつて徳島商の板東英二投手(今やゆで卵で有名)が高知県予選の準決勝で延長16回、一日空いて決勝で延長25回、2試合を一人で41イニングも投げたことが切っ掛けで作られたものです。そして、その適用1号は何と甲子園大会に入って板東さん自身でした! 魚津高との試合で延長18回(しかも25奪三振で今も破られていない記録です。それこそタイブレークが導入された今となっては、絶対に破られないでしょう)翌日の再試合でも板東さんは9回完投、痛み止めを飲んで投げたといいますから壮絶ですが、勝利をおさめ決勝まで進出します。(優勝は逃します)

板東さんは中日ドラゴンズに入団、リリーフが多かったですが、11年のプロ生活で通算77勝をあげました。2桁勝利をあげた年も5回ありました。やはり「延長18回、翌日再試合」のルール適用を受けた太田幸司投手もドラフト1位で近鉄バファローズに入団、最初は人気先行でしたが、5年目には10勝をあげ、その後も二桁勝利もあげ、通算58勝あげました。お二人とも名球会に入るような記録ではありませんが、プロとして活躍したといえる成績です。1998年にPL学園との試合で延長17回、250球!を投げた松坂大輔投手、早実との決勝で再試合(このときのルールは延長15回でした)となった田中将大投手もプロに入ってから長く活躍していることは言うまでもありません。

その先、野球を続ける選手、とりわけプロに入ろうという選手にとっては将来がかかっているから、できるだけ故障のリスクを避けたいのは当然かもしれません。でも、プロに入るぐらいの投手になると超人的な活躍をするものです。そもそも、板東さんや太田さんの時代よりも、練習環境は良くなって、科学的なトレーニング法や治療は進んでいるはずなのに……。まあ、地肩や体力が違うのだと言われればそれまでですが。今後、高校野球、甲子園大会はどのように変わっていくのでしょう。 (ジャッピー!編集長)

 


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