今年の8月1日に元・阪神タイガースの二塁手、鎌田実さんが亡くなりました。80歳です。そういえば、ずっとラジオの解説にも出ておられなかったなあと思っていました。阪神の主宰ゲームで大阪のラジオ放送ではよく聴きました。結構、毒舌という感じでしたが、あの1985年のタイガース優勝の年などやっぱり嬉しそうだったのを覚えています。

先日、ドラゴンズの大野雄大投手に「ノーヒット・ノーラン」を食らうなど、今年も「貧打」の阪神ですが、伝統的に阪神は「守り」のチームで強力な投手力と堅い守備が売りでした。(そういう意味では「バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発」で知られる1985年は異例)そんな阪神の「伝統」の一角を担った名手が鎌田実さんでした。高校時代は元々、遊撃手だったという鎌田さん、1957年に阪神に入団しますが、ここには史上最高の遊撃手、「牛若丸」と称された吉田義男選手がいますので、二塁手に転向。これで揃ったセカンド鎌田さん、ショート吉田さん、サード三宅秀史さんという布陣は鉄壁、当時「試合前の内野シートノックだけで金がとれる」と言われていました。僕が熱心に野球を観始めたころ、三宅選手はケガでレギュラーを退いており、この黄金トリオを見ることができなかったのが残念。タイムスリップして見てみたいです! 

そんな黄金トリオの二塁手だった鎌田さんといえば、「バックトス」です。今では高校野球の選手でもやっているほど当たり前のプレーになっていますが、その元祖が鎌田実選手です。たしか、アメリカでキャンプをはったときに現地の選手がやっているのを見て練習を始めたのだと思います。それで実際に試合で使えるようになるまで3~4年かかったといいますから、何事も先駆者というのはすごいです。ゴロを補給してアッという間にショートの吉田選手にボールが渡り、すぐに一塁に投げて余裕でダブルプレーという場面が何度もありました。「目にもとまらぬ」という表現がピッタリくるスゴ技でした。また、鎌田さんの「バックトス」を可能にしたのは相方の吉田さんがいたからこそでしょう。現に、のちに鎌田さんが近鉄バッファローズに移籍したとき、他の内野手のレベルが低くて対応できないので、三原脩監督に「バックトスをやるな」と言われたそうです。プロの中でも突出した技術だったわけです。近鉄に3年間いた後、タイガースに戻ってきてコーチ兼任、引退後はコーチとなり後進を指導。守備の上手い後藤和昭三塁手など育て「守り」の阪神の遺伝子を伝えました。後藤選手のあとにサードのレギュラーになったのが掛布雅之選手というのが「守り→打撃」カラーに変わった象徴といえますね。

鎌田さんは「バックトス」以外もアクロバティックな守備でまさに「見せる」守備のできるプロでした。守備範囲が広く、一二塁間の打球はことごとく捕っていた印象があります。そのため、一塁の遠井吾郎選手は「不動の一塁手」(動かないファーストの意)と呼ばれていましたね。今でいうと、広島カープの菊池涼介二塁手が近い感じかと思います。難しい打球は楽々とさばく一方、真正面のゴロをエラーしたりすることがあり、悪球打ちの打撃も含め、個性的な名手でした。天才肌だけあって、変人ぽいところがあって、極度の飛行機嫌いで映画やドラマでも「飛行機」がテーマだと見ないというほどだったそうです。近鉄時代、チームが飛行機移動なのに鎌田さんだけ一人電車移動。ある日、ダブルヘッダーの試合が延びて夜行列車の時間に間に合わなそうになってしまい、鎌田さん、三原監督に「試合中ですが、帰らせていただきます」と言ってひとりタクシーに乗り込んだというエピソードがあります。マスコミ嫌いでも知られましたが、前述のように解説者をつとめ、分かりやすい解説をされていました。

タイガース・ファンでかつて「猛虎」という雑誌を手づくりされていたハピイさん(当ブログ2018年3月3日ご参照ください)も鎌田実さんの訃報は残念でしょう。

阪神タイガース史上でも最高の守備を誇った名二塁手、素晴らしいプレーで僕たちを魅了した鎌田実さんのご冥福を心よりお祈りいたします。(ジャッピー!編集長)

 

 

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