10月6日に元・プロ野球選手、監督の金田正一さんが亡くなりました。86歳ですが、金田さんはいつも明るく元気な人だったのでとても悲しく残念です。「死」というものを寄せ付けないようなイメージがありましたから……。そしてまた昭和が遠くなっていきます。

金田正一投手についてが打ち立てた数々の記録については、説明するまでもないでしょう。各新聞やテレビのニュースで報じられていますし、400勝や4490奪三振、投球回数5526 2/3……などの通算記録は絶対に破られることのないと断言できますから、これからもずっと記され、そのたびに野球ファンは驚嘆するのです。通算勝利数の2位は阪急などで活躍した米田哲也さんの350勝ですから(米田投手については2017年8月8日、10日をご覧ください)金田さんは50勝の差をつけたぶっちぎりの1位なわけですが、実は金田投手、国鉄スワローズ時代の15年間で353勝ですから、結果的にはこの時点でもう日本一の勝ち星をあげていたわけです。

そして、当時の10年選手制度を行使して、1965年(昭和40年)に長年のライバル球団・読売ジャイアンツに移籍します。さっそく入団1年目の開幕投手となって見事に勝ち星をあげました。この年から巨人の9連覇が始まるので、この金田投手の巨人での初勝利がV9の第1歩だったわけです。金田投手はこのジャイアンツ1年目に防御率1位のタイトルを獲得します(自身3度目)が、勝利数は11勝で、前年までの14年連続20勝以上は途切れました。結局、巨人にいた5年間で47勝ですから、勝ち星的には国鉄時代のような活躍を見せられませんでした。

しかし、金田投手がジャイアンツにもたらしたものはある意味もっと大きなものでした。猛烈な「プロ意識」という無形のものをチームや選手にもたらしたのです。良く

知られているエピソードですが、キャンプ中も宿舎で用意された食事はとらず、金田さんは自室に自炊道具を持ち込み、厳選した食材で毎日鍋料理を作って食べていました。何でも、当時で1日1万円かけていたというからハンパないです。それだけではありません。布団、枕、毛布なども自分が選んだ最高級の寝具を持ち込みます。宮崎キャンプ初日には、金田投手の部屋の前には段ボール箱が何十個も積み上げられたといいます。「食事」と「睡眠」、これが厳しい練習に耐えられる体をつくる基本なのだというこの姿勢は、金田さんがのちに監督になったロッテ時代にも貫かれ、当時のロッテのキャンプでは他球団とは比べ物にならないぐらい食事が豪華だったといいます。この「食」へのこだわりは、金田正一投手が高校中退してプロに入って1年経ったときに母親から言われたことが元にあるそうです。それは「最初の給料は全部、食費に使いなさい。その代わり、来年は倍のお給料がもらえるような働きをしなさい。それが実現したら、今度はその倍になったお給料を全部食費にしなさい。そうやって体にうんとお金をかけて、長く活躍できるような体を作りなさい」というアドバイスです。このお母さんの金言によって、「自分の体に投資」をして、強い体を作り前人未到の記録を作るに至ったのです。金田投手のお母さん、えらい! 

食事だけではなく、生活のあらゆる面で金田さんは「意識」をしていました。つまづいて爪を痛めたらいけないのでサンダル履きはもってのほか、髭剃りも指を切るといけないから電気カミソリだけ、夏でも長袖着用、冷房は使わないなど細心の注意を払いました。金田投手はサウスポーですから、移動時も荷物は左手で持たないのはもちろん、乱闘のときは左手にはタオルを巻いて防御、絶対右手だけで攻撃?していたそうです。血の気の多いカネやんですが、そこは冷静に商売道具の左腕だけは守ったわけです。

こういった「プロ意識」、プロとして準備を怠らない金田哲学が他の選手に刺激と影響を与えたことがジャイアンツの9連覇につながったともいえます。そう考えると、V9が金田さん1勝目でスタートしたというのは象徴的です。今年、ジャイアンツが優勝したのも移籍してきた丸選手の影響が大きいと思います。カープで猛練習をしてきて、試合中のベンチでも対戦した投手について気が付いたことをよくメモしていますよね。そういうプロ意識がチームを変えたと思います。

数々の記録はもちろん、その個性的な言動でも楽しませてくれた昭和の大投手、金田正一さんのご冥福を心よりお祈りいたします。  (ジャッピー!編集長)

 

 

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