昨日の当ブログで、金田正一投手が1965年(昭和40年)、国鉄スワローズから読売ジャイアンツに移籍し1年目の開幕投手となって見事に勝ち星をあげ、この年から始まった巨人の9連覇のスタートとなったという話を書きました。そして、この試合で、金田正一投手はホームランも打っているのです。15年間在籍した国鉄時代に36本打っている金田さん、ジャイアンツでの初試合で一発打つとは、まさに千両役者です。金田投手は巨人時代にもう1本、ホームランを打ってますから、通算では38本のホームランを放っています。野手が本職の選手でも1本も打たずにプロ野球生活を追える人がいるわけですから、破格の数字です。

えっ、大谷翔平選手はもっと打ってるじゃないかって? たしかに大谷選手は日本ハム・ファイターズにいた5年間に48本のホームランを放っていますが、ほとんどがDH(指名打者)で出場している時であります。僕の記憶では、投手として登板した試合でホームランを放ったのは、1番投手で先頭打者ホームランをかっ飛ばしたときだけじゃないかなあ。ほとんどが「打者」に専念、守備の負担のないDHで打ったホームランだったわけです。「二刀流」とはいっても、投手と打者、別々の刀を一本ずつ振るっていたわけです。

一方、金田投手は代打で出てのホームランが2本。(代打で起用されるということもスゴイですが……)最後の通算38本目のホームランは代打によるもので、中日の小川健太郎投手から放ちました。小川投手は右のアンダースローですから左バッターということで代打起用されたのでしょう。国鉄時代には広島カープの大石清投手から打っていますから、どちらも一線級投手から代打ホームランを打つ勝負強さです。そして、それ以外の36本は投手として登板しながら、まわってきた打席で放ったホームランです。

ひとつの試合の中でまさに「二刀流」を振るっていたのです。なので、単純に大谷選手と比較できないと思います。ちなみに、サヨナラ・ホームランも2本打っていて、1本目は中日の左腕、中山俊丈投手から。2本目は大洋ホエールズの大エース、秋山登さんから放っています。

この金田さんのバッテイングもある意味、チーム事情が生んだともいえます。国鉄スワローズは貧打で知られるチームで、金田さんが投げて0対1で負けた試合が21試合もありました。好投しても援護がない試合が多かった金田さんとしては、「自分の投げる試合は自分で打って勝つ」しか、成績を上げられないと思っていたと思います。キャンプでも、バッティング練習に力を入れ、野手の主力バッターよりも長い時間打ち込んでいたといいます。周りの選手たちも金田さんの打撃の実績を知っていますから、文句も言えなかったといいます。

1963年(昭和38年)に新監督として浜崎真二さんが就任します。金田投手の勝手な練習ぶりに「投手のバッティング練習の時間を制限」する命令をコーチを通じて出します。すると、金田投手、監督を呼びつけて「お前さんが新しく監督に来たからというて、これまでこれで勝ってきたのを変えて、打撃練習するなと言われる筋合いはどこにあるんじゃ。 これでワシが勝てなくなったらワシの生活の面倒見てくれんのか!」と怒鳴りつけたそうです。結局、浜崎監督は金田投手の独自練習を認めざるをえなかったのです。ちなみに、浜崎監督はこの1年だけで退任しました。もう、監督より金田さんの方がエラいというワンマン・チームだったのですが、実際、金田投手のいた15年間の国鉄スワローズの勝ち星の42%が金田投手のあげたものだったのです。 (ジャッピー!編集長)

 

 

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