50年前、1969年(昭和44年)の今日1010日は、金田正一投手が400勝を達成した日であります。一昨日の当ブログ「追悼・金田正一さん ジャイアンツ9連覇の1勝目」に書いたように、金田投手のジャイアンツ移籍とともに始まった9連覇。この1969年は金田投手ジャイアンツ5年目ですから、5連覇を果たしたわけです。その優勝を決めた翌日ですから、普通は消化試合になりますが、あと1勝に迫った金田投手の400勝のために巨人ナインは本気モードでした。相手は中日ドラゴンズで3-1とリードして先発の「エースのジョー」こと城之内邦雄投手は4回でマウンドを降り、勝ち投手の権利を5回から登板の金田投手に譲ります。そして、この配慮に見事に応え、9回まで投げ切り、ついに400勝を達成、金田投手はチームメイトに胴上げされたのです。子どもの頃から筋金入りの「巨人嫌い」の僕でしたが、さすがにこの場面はスポーツニュースで観たのをはっきり覚えています。

前年1968年までで395勝をあげていた金田投手、400勝は時間の問題という感じで1969年のシーズンに入りましたが、故障もあって調子があがらず、4勝4敗で迎えた最後のチャンスでした。金田投手といえば、よくこういったリードしている試合の途中から登板して、先発ピッチャーの勝ち星を奪ったという言い方をされます。実際、チームがリードした途端、監督が交代を告げるより早く、自分で「ワイの出番や」とばかりブルペンを飛び出していったというエピソードも聞かれます。それくらい「勝ち星」への執念が強かったわけですが、実際、チームが勝つのに「金田投手が登板」するのが最良の策だったのも事実なのです。おかげで勝ち星を奪われた投手は数知れずですが、それくらい実力がずぬけていたわけです。

高校3年の夏の地区予選で敗退、甲子園大会への道が断たれると、中退して国鉄に入団。シーズン途中からにも関わらず8勝をあげた金田さん。2年目には早くも22勝をあげ、以後スワローズに在籍している間はすべて20勝以上(うち30勝以上が2回)をあげ353勝を積み上げました。その金田投手がONはじめ強力打線の巨人に移籍したのですから、相当勝つかと思えばジャイアンツ在籍の5年間で47勝。晩年とはいえ、ちょっと物足りないですね。スワローズ在籍最後の1964年(昭和39年)は27勝をあげていますが、ジャイアンツに移って1年目は11勝ですからガクッと勝ち数が減ります。スワローズ時代みたいにローテーション無視で「勝てる」試合にズカズカ登板できなかったこともあるでしょうが、僕はジャイアンツが「味方」になってしまったことが大きいと思います。

金田投手が1958年(昭和33年)ゴールデン・ルーキー・長嶋茂雄選手を4打席4三振にきってとったように、「打倒巨人」、強いものに牙をむくのが金田投手がの真骨頂だったと思います。金田さん自身「巨人に勝たなんかぎり、スポーツ紙の1面にならん。しゃにむに叩きにいったもんよ。どんなに疲れていても、巨人戦になるとお客さんがワシを呼び戻した。お客さんの大歓声で疲れなんて吹っ飛んだもんよ」と回想しています。「巨人戦に全力を注ぐので、その次の他球団との試合によく負けたものよ」とも言っていますから、ジャイアンツに挑むことが金田投手のエネルギー源だったのでしょう。
そんな闘志を燃やす相手が「味方」になってしまったから、勝ち星も伸びなかったように思うのです。何たって「やったるで!」の人なのですから。もし、そのまま国鉄かあるいは巨人以外の他球団にいたら、勝利数も
400勝よりもっと増えたかもしれなかった……などと夢想するのです。 
(ジャッピー!編集長)

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