昨日の当ブログで書いたように、50年前、1969年(昭和44年)10月10日に金田正一投手(ジャイアンツ)は400勝を達成します。そして、この年に20年のプロ野球生活に幕をおろしました。ジャイアンツが5連覇を果たした一方、金田正一投手は5勝に終わりました。さすがの金田さんも故障に苦しみ、やっとのことで400勝という区切りの記録に達成したので限界だったのでしょう。
それともう一つ、この1969年に末弟の金田留広さんが東映フライヤーズに入団したことも大きかったかもしれません。2018年10月30日の当ブログ「金田四兄弟(400+0+0+128)と長嶋親子」に書きましたが、二人の弟を自分のいる国鉄に入団させ(勝ち星はあげられませんでしたが)プロ野球選手にして、残る一番下の弟・留広さんもプロになったことで、責任を果たしたように思ったのでないかなと思います。ちなみに、選手同士として1年だけクロスした1969年のオールスター・ゲームで留広投手が登板、カネやんが代打でバッターボックスに立って兄弟対決というのがありました。
さて、金田正一投手の引退会見ですが、これは「巨人の星」にも描かれていました。長年、酷使した左腕を突き出して「ワシの左腕は曲がったままや」と、20年の現役生活の代償であり勲章のようにも語るシーンが再現されていました。もちろん、星飛雄馬は感動しまくりで、会場を出た金田さんに声をかけるのでした。たしかアニメでは、この金田引退の場面だけでなく、貧しい家に育った金田さんがプロ野球に入って努力して球界のエースになっていく、ちょっとした「金田正一物語」が描かれたと記憶しています。
「巨人の星」といえば、球は速いが球質が軽いという自身の欠点を知った飛雄馬が、現役の金田投手に「カーブを教えてください」と頼む場面がありました。直球だけでなく、変化球を覚えればピッチングに幅が出るのですから至極まっとうな気持ちです。しかし、金田さんは突っぱね、自分で新しい球を編み出せみたいなアドヴァイスをします。ここでも感動した飛雄馬は、「大リーグボール」を開発するのですが、結果的には短命なピッチャーに終わります。金田さんがちゃんとカーブでも教えてあげていれば、速球、抜群のコントロール、打者の観察力を備えていた飛雄馬ですから相当に「勝てる」投手になっていたはずです。子どもの頃、よく友だちと「金田は自分の記録を抜かれるのを恐れて飛雄馬にカーブを教えなかったんだ」などと話したものでした。 (ジャッピー!編集長)
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