昨日11月3日の当ブログ「3度結婚の谷口千吉監督の最初の妻は」に書いたように、八千草薫さんの夫、谷口千吉監督の最初の結婚相手は脚本家の水木洋子さんでした。結婚生活10か月というスピード離婚をした谷口助監督、戦後、監督に昇進します。そのデビュー作が『銀嶺の果て』(1947 谷口千吉監督)です。助監督時代からの盟友、黒澤明さんと脚本を共作した山岳アクションの傑作です。谷口監督第1作というだけでなく、三船敏郎さんのデビュー作としても知られます。3人組の強盗の一人を演じ、それまでの日本人俳優にない野性味を発散、以後の黒澤映画の三船さんにつながる個性を見せつけました。最初、出演を断った三船さんを説得して抜擢したのが谷口監督ですから、世界の映画史的に重要な貢献をしたと言えます。さらに言えば、『ゴジラ』(1954 本多猪四郎監督)の音楽で有名な伊福部昭さんの映画音楽デビューでもあります。そんな傑作で谷口監督が出会ったのが若山セツコさんです。このときまだ18歳の若山さんは、強盗3人組(志村喬さん、小杉義男さん、三船さん)が押し入る山小屋の老人(高堂国典さん)の孫娘で初々しい少女という感じです。

東宝ニューフェイス1期生(三船さんと同期ですね)の若山セツコさんを一躍有名にしたのが、『青い山脈』(1949 今井正監督)です。民主主義を謳いあげる内容が時代とぴったりマッチし、主題歌とともに大ヒットした国民的映画です。この中で、丸メガネをかけたちょっと天然の女の子を演じ、人気を博しました。元祖・眼鏡っ子です! 当時の若者たちには、先生役の原節子さんより、若山さんはずっと身近に感じられたでしょう、アイドル的人気だったと思います。当時リアルタイムで観た方で『青い山脈』といえば若山セツコさんを思い出すという人は多いと思います。そもそも童顔の若山さんにぴったりの明るいキャラクターでした。のちの女優で似ているのは中田喜子さんですかね。

しかし、そんなアイドル的人気を得た1949年、若山さんは谷口監督と結婚。若山さん20歳、谷口監督37歳ですから17歳の年の差。これだけでも相当羨ましがられたりしたと思いますが、当ブログ11月2日「追悼・八千草薫さん」に書いたように、『乱菊物語』(1956 谷口千吉監督)で出会った八千草薫さんにゾッコンとなった谷口千吉監督は若山さんと離婚、翌年1957年に八千草さんと3度目の結婚をします。やはり、谷口さんの好みなのでしょうか、小柄で童顔、クールな美人というよりは優しい感じで「可愛らしい」という点で若山セツコさんと八千草薫さんは共通するものがあります。ともかく、若山さんに続き八千草さんと結婚した谷口さんに嫉妬まじりか本気で怒ったのか、「もう、谷口の映画は絶対観ない!」と語った東宝関係者がいたといいます。なるほど、気持ちは分かります。

谷口監督と離婚したあと、若山さんは女優として華々しい活躍をすることなく、脇役にまわり、やがて病気のため表舞台から姿を消します。復帰してちょこちょこテレビなどに出演した頃には精神的に不安定になっていたといいます。そして、お姉さん、お母さんを相次いで亡くし、若山さんは1985年(昭和60年)、首を吊って自殺してしまいます。谷口さんと離婚した後は結婚することもなく、55歳という若さで淋しく病院で亡くなったのです。新聞の訃報も小さな扱いだったのを覚えています。

今、八千草さんの訃報がニュースなどで取り上げられ、谷口監督の晩年まで仲睦まじく登山などしていた姿などが出ています。女と男のことですから、どんな経緯があったかは分かりません。それでも、谷口監督が八千草さんと出会わなければ、若山さんは八千草さんのように幸せに添い遂げたかもしれなかった……という思いにかられます。若山さんが八千草さんと似たタイプの可愛い女性だっただけにそう思ってしまいます。

大きく八千草さんの死が報じられる一方では、ひっそりと自ら命を断ったひとりの女性がいたことを思い出してほしいのでこのブログを書きました。

(ジャッピー!編集長)

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