伊藤晴雨 撮影所絵画
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月9日の当ブログで「「国立映画アーカイブ」で開催中の企画展「映画雑誌の秘かな愉しみ」に行って、展示されていた「活動写真雑誌」の1918年(大正7年)1月号の附録だったという「活動写真撮影寿語録(すごろく)」を見た話を書きました。伊藤晴雨さんという「責め絵」で有名な絵師が描いていたのでちょっと驚きましたが、当時の絵師といえば、今のイラストレーターみたいなものかと思いました。

「すごろく」といえば、昔の月刊少年雑誌の1月新年号の附録の定番でした。切り抜いて組み立てるサイコロなんかもついていました。あと、「すごろく」タイプのボード・ゲームといえば、「人生ゲーム」ですね。僕は持っていませんでしたが、友だちの家にあって、行くとよくやりました。こちらはサイコロではなく「ルーレット」を回すというのが、当時としては新しく感じましたねえ。別の友だちの家には「バンカース」があって、これもよくやりました。「バンカース」もアメリカ発祥のボード・ゲームですが、地名は「大手町」とか日本の地名になっていましたね。

元々は、アメリカで作られたという「人生ゲーム」、日本では1968年に発売されました。小さな車の形をしたコマにピン(自分の分身)を差し込み、ルーレットで出た数だけ進め、そこに書いてある指示に従っていく「すごろく」ですが、進んでいくうちに学校を出て、就職し、結婚し、(←ここでコマの上に伴侶のピンを立てます)子どもが生まれるとコマの上は賑やかになっていきました。家を買ったり、時には「ギャンブル」とい札を引いてルーレットを回して、設けたり、損したり……。たかがゲームですが、そこには当時の平均的なキャリア・プランとか人生航路が提示されていたわけです。僕も子供心に何となく、そんな「就職して、結婚して、子どもを作って……」みたいな未来を描いていたと思います。まさか、独りぼっちで、淋しく貧しい生活を送ることになるとは思ってもいませんでした。「咳をしてもひとり」なんて感じです。

あの頃、「人生ゲーム」で何度も遊びましたが、破産して「貧乏農場」行きになったことはなかったなあ。友だちにも「貧乏農場」行きはいなかったように思います。きっと、子どもの遊ぶものなので、容易に「貧乏農場」行きにならないように作られていたのだと思います。「バンカース」では、一回、銀行が破産してしまったことがあったのを覚えています。

「人生ゲーム」は1968年の発売以来、その時代の世相や流行を取り上げて、いろいろなヴァージョンを生み出し、今も続いているロングセラー商品です。僕は子どものときにやった元祖?の「人生ゲーム」しかやったことありませんが、時々トピック・ニュースなどで見ると、「バブル時代」を反映したもの、逆に「バブル崩壊」を背景にしたヴァージョンなんかもあったようです。たしか1999年頃には「世紀末」ヴァージョンもあったと記憶しています。平成になってからは「貧乏農場」じゃなくて「難民キャンプ」とか「強制収容所」とか生々しくなったと聞いたこともあります。

毎年のように色々なヴァージョンが出ているみたいですから、きっともう「令和版・人生ゲーム」というのも出ているのでしょうね。見たことありませんが、今だったら

ゴールは「上級国民」と「こんな人たち」に分かれているんでしょうかね。新聞によると、東池袋で車を暴走させ母子を死亡させた元通産相の男が書類送検だって。何の

罪もない母子の命を奪って人生を奪っていながら、厳罰が下されないとは……。この国の格差はここまで来ているのです。  (ジャッピー!編集長)

 
* 上図は「絵すごろく展ー遊びの中のあこがれ」 平成10年江戸東京博物館発行より

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