1212日に俳優の梅宮辰夫さんが亡くなりました。81歳です。このところは闘病されていることを公表されていましたが、それどもテレビでお姿を見ることは多くかったので、訃報は残念でなりません。

テレビ朝日で昼に放映中の『やすらぎの刻~道』に出演されていたようで、これが遺作となりました。僕はこのドラマは観ていないのですが、梅宮さんの出演シーンはまだこれから放映される予定があるそうですから観てみようかなと思っています。劇中では石坂浩二さんの父親で幽霊?役だそうで、梅宮さんは体調はすぐれなかったようですが、倉本さんに声をかけられ、出演を快諾、幽霊役に「そういう役が来ると思ったよ」と笑っていたそうです。

梅宮さんと倉本聰さんといえば、『前略おふくろ様』で、渋い板前の役で起用され印象に残っています。たしか、最初は小林旭さんをキャステイングしていたのが、旭さんが「なんで俺がショーケンの脇なんだ」と言って断り、梅宮さんになったという話があったと思います。しかし、寡黙な板長・秀次の役に梅宮さんは見事にハマっていました。どの回か忘れましたが、ヤクザみたいな連中が店に来たときに、彼らを陰に引っ張っていき話をつける場面があって、サブ(萩原健一さん)の「あいや~何か、とても見てはいけないものを見てしまったようで……」とモノローグが入りました。秀さんはかつてどうやらヤクザだったということが暗示されるのですが、そういう過去を思わせる「人生の年輪」を滲ませていました。これは「演技」というより、梅宮辰夫というひとりの人間が生きてきた歴史やイメージがあったからだと思います。東映時代に、『ひも』(1965 関川秀雄監督)や『ダニ』(1965 関川秀雄監督)といった「夜の青春シリーズ」、『夜遊びの帝王』(1970 斎藤武市監督)、『女たらしの帝王』(1970 斎藤武市監督)、『未亡人(ゴケ)殺しの帝王』(1971 内藤誠監督)など「帝王シリーズ」(素敵なタイトルが多いなあ)、そして『不良番長』シリーズ(19681972)といった作品群、私生活でも派手に遊んでいたという梅宮さんのスター・イメージが、大きく作用したのだと思います。散々、ワルをしたり、女を泣かせたけれど、今はそんな過去を背負って、板前をやっているというような。

そして、この倉本聰さんとの出会いで「板前」の秀次を演じ、役作りしたことで梅宮さんは料理にも本格的にめざめ、料理という特技を得てお店や「辰ちゃん漬け」などに繋がっていくのです。俳優としても幅が広がっただけでなく、ちょうど子どもだったアンナさんにも自らお弁当を作るなど、プレイボーイからマイホーム・パパへの転換期にもなったのです。

そんな倉本聰さんの脚本作品『やすらぎの刻~道』が梅宮さんの遺作となったのも、運命的なものかもしれません。一昨年に同じ時間帯に放映された『やすらぎの郷』に出ておられた八千草薫さんが『やすらぎの刻~道』は体調が悪く直前で降板しましたが、撮影が進んでからスタジオを訪れた八千草さんも数シーン出演されたそうです。なので『やすらぎの刻~道』は、八千草薫さん、梅宮辰夫さんの遺作となってしまったわけですが、このお二人は『前略おふくろ様Ⅱ』で共演されました。そして、主演の萩原健一さんも今年亡くなり、昭和の名ドラマを彩った顔ぶれがいなくなってしまいました。

多くの映画、ドラマで活躍された梅宮辰夫さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)

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