1211日に元・ロッテオリオンズの捕手、醍醐猛夫さんが亡くなりました。81歳です。ロッテ・オリオンズというより「東京オリオンズ」といった方がしっくりくるかもしれませんね。

子どもだった僕には、まずは「醍醐」という名字の難しさがインパクトありました。僕は昔、自分で「プロ野球ブック」という雑誌を作っており(当ブログ2018年2月26日「僕の雑誌好きの原点、手作り『プロ野球ブック』」をお読みください)、そこで「見てきた」ようなキャンプ便りやシーズン展望を書いていたので、「醍醐」という漢字はそのとき書けるようになりました。のちに日本史で「後醍醐天皇」を習うより早く、書けるようになっていたのです。そういえば、オリオンズの本拠地、東京スタジアムのスコアボードには画数が多いせいか「ダイゴ」とカタカナで書かれていましたなあ! この「ダイゴ」が観れる映画として、東京スタジアムが出てくる『闇を裂く一発』(1968 村野鐵太郎監督)があります。この映画については当ブログ201711月5日をご参照ください。

醍醐さんは早実で3年のとき、1年生だった王貞治投手とバッテリーを組んで甲子園にも出場してたことで知られています。同期生には徳武定之選手がいて、徳武三塁手は卒業後、早大に進み主将をつとめ国鉄スワローズに入団しました。醍醐さんの方は、早実卒業後1957年「毎日オリオンズ」に入団、すぐに一軍に定着しました。ですから、1960年の優勝のときにも若手捕手として在籍されていたのです。この年の日本シリーズで大洋ホエールズに4タテをくらい、スクイズという作戦をとった西本幸雄監督が永田“ラッパ”雅一オーナーから叱責され辞任したことで知られています。

醍醐猛夫さんは1965年(昭和40年)には全試合出場、本格的にレギュラーとなりました。醍醐さんで現役時代一番驚かされたのは1971年に(2試合にまたがってですが)「4打席連続ホームラン」を放ったことです。醍醐さんはわりと「打てる」キャッチャーの方でしたが、このときまで「4打席連続ホームラン」を達成していたのは、青田昇さん(1956年)、王貞治さん(1964年)、長池徳二さん(1967年)の3人しかいませんでした。王選手だけが「1試合4打席ホームラン」なのはさすがですが、この三人はいずれも4番を打つような強打者です。それに対して、醍醐さんは7番、8番を打つ「下位打線」のバッターです。突然、4打席連続本塁打を放ったのはほとんど「奇跡」といっていいでしょう。実際、この1971年に醍醐さんが打ったホームランは10本。そのうち4本が2日間に集中したのですから、「どうなってるんだ?」と思いますよね。この突然のバカ当たりは、よく「プロ野球の意外な記録」みたいな本には必ず出ていましたね。その後、田淵幸一さん、古田敦也さんも「4打数連続ホームラン」を放っていますが、こちらはあくまでも「4打数」で四死球を挟んでいます。掛け値なしの「4打席」連続ホームランを放った捕手はプロ野球史上、醍醐猛夫さんだけなのです。

すでに「ロッテ・オリオンズ」となっていた1970年に濃人渉監督に率いられパ・リーグ優勝を果たしたときは、醍醐さんはバリバリの正捕手でジャイアンツ相手の日本シリーズにも全試合先発出場しました。6連覇を果たした巨人の壁は厚く、1勝4敗で負けてしまいましたが、木樽正明さん、成田文男さん、小山正明さんという3本柱をうまくリードしていました。60年代半ばから70年代初めあたりまで、オリオンズのホームベースを守り続けた醍醐猛夫さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

(ジャッピー!編集長)

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