ひとつ前の当ブログに書いたように、井上陽水さんがデビュー50周年なら、『男はつらいよ』(1969 山田洋次監督)も公開から、今年で50年です。(当ブログ2019年8月28日「『男はつらいよ』第1作公開から50年」をお読みください)その50年目に復活した『男はつらいよ お帰り寅さん』(2019 山田洋次監督)をさっそく観に行ってきました。

一昨年だったか、ラジオに山田洋次監督が出て、「今、『男はつらいよ』の50作目を考えているんだよ」とおっしゃったときは、耳を疑いました。詳細は語りませんでしたが、過去の「寅さん」の映像を使うようなことを言っていたので、僕は「総集篇」みたいなものか……と思ったのです。ムリに「50本目」という数字にこだわることもないのになあ……とちょっと危惧していたのです。

しかし、この『男はつらいよ お帰り寅さん』、見事に作品として成立していました! もちろん、寅さん=渥美清さんが登場する所は過去の『男はつらいよ』シリーズの映像から引用したものなんですが、それが物語の中の(主に満男の)回想として無理なく使われていました。そして、渥美清さんだけでなく、若き日のさくら(倍賞千恵子さん)、博(前田吟さん)の姿も映し出されます。第1作のさくらに惚れた博に対して、寅さんがイチャモンをつけて博が印刷工場を辞めて出て行ってしまうというシーンが映し出され、あの時、おふくろとオヤジが一緒にならなかったら満男という存在もなかったんだ……というようなことを感じさせられます。そう、ここで使われる「過去作」の映像は、寅さんのだけでなく、今、2019年を生きる人々が、この昭和から平成、令和に至る50年、必死に生きてきた時間や歴史を映し出すのです。

普通の映画だったら、回想シーンには別の若い俳優を起用したり、その俳優をメイクで若く見せたり、という手法を使うわけですが、この長大なシリーズには、寅さんとその家族、周囲人々の「若き日」の姿が映像ストックとして使うということが可能だったわけです。これが不思議な効果をもたらします。映画の中に流れる時間と、実際に観に来た観客(特に「寅さん」を観続けた人たち)の時間の流れがシンクロするというか。また、若く瑞々しい倍賞さんや、前田さんの姿のあとに映る「今」の年老いたお二人、それを映し出すことはある意味、役者にとっては残酷なことかもしれませんが、まさに「さくら」や「博」の今なのですから、劇中の登場人物、観客だけでなく、演じる役者の三つの時間がシンクロし、そこに50年が流れたということなのです。まさしく、これこそ「大河」ドラマといっていいかもしれません。

そういえば、山田洋次監督が前述の一昨年のラジオ出演のとき、「倍賞さんや、前田さんがお元気で出られるうちに作りたいんだ」というようなことを言っていたのですが、実際に映画を観て「ああ、そういうことだったのか……」と腑におちました。あくまで、渥美清さんが亡くなりシリーズが終了した「その後」を生きた「さくら」や「博」「満男」、柴又を描きたかったのだなあと。そこに「寅さん」の膨大な過去映像が使えた、ということでしょう。

単なる「寅さん」の総集篇やグレイテスト・ヒッツではなく、きちんと「今」を描きメッセージもこめている作品でした! それでも、ラスト近くの怒濤のマドンナ・ショットには落涙してしまいました。まるで『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988 ジュゼッペ・トルナトーレ監督)のようやわ~! そこに映るマドンナの何人かは既に亡くなり、それでもこうして銀幕に映る姿は永遠なのだ……と、ここにも「流れる時間」への哀惜が涙腺を刺激するのでしょう。

細かいところですが、満男(吉岡秀隆さん)が泉(後藤久美子さん)を乗せて走る車のナンバープレート、「1969」でした! 第1作の公開年を意識したのは間違いないでしょう! (ジャッピー!編集長)

 

 

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