昨日の当ブログで、ケン・ローチ監督の新作『家族を想うとき』(2019 ケン・ローチ監督)について触れました。主人公のリッキーはフランチャイズ契約の宅配ドライバーの職を得ますが、そのために自前でヴァンを購入します。会社から車を借りるより、トータルで考えると出費が抑えられるからです。しかし、その頭金のために妻の車を売るはめになり、訪問介護の仕事をしている妻はバスで仕事先を回るしかなくなります。もう、このスタートの時点から「負」を背負ってしまうのです。雇う側はリスクを最小限に抑えて、「フランチャイズ」という名ばかりの自営をちらつかせて酷使する……久々に「搾取」という言葉を生々しく感じてしまいました。

映画の中で、リッキーが宅配に出発する前に会社で荷物を積み込むシーンが映し出されますが、僕も同じような物流の仕事場でバイトしていたことがあるので思い出してしまいました。僕はドライバーではなく、集荷所で仕分けや積み込み、トラックに運び込む仕事をしていました。教員を辞めて1年あまりバイトしていただけですが、全国から集められた荷物をベルトコンベアに乗せ、それが配送地方別のシュートに落ちてくるのをパレットという大型の台車に積み込み、行き先別のトラックが停まっている場所まで運ぶのですが、ひとつの所に一度に大量に集中してしまうことがあり、それは大変でした。夏のお中元や暮れのお歳暮の時期ともなると、本当に次々に流れてくるので、まさに息もつけない状態でした。この繫忙期には臨時バイトも増員するのですが、それでも追いつかないのです。

監視塔みたいな所から本社の社員が指示を放送するのですが、この時期は「さあ、今から1時間で1万個処理するぞ!」とあおったりするのです。この「放送」、普段も「〇〇番、手が空いているなら隣りのシュートに行け! よく周りを見て動け!」など言うので、気分的には刑務所で作業する囚人の気分でした。その言い方から、たぶん、社員はバイトの人たちを「囚人」程度に見ていたと思います。駒をいかに効率よく動かすかだけしか頭になかったようのでしょう。

このバイトで、僕は倒れた鉄製のパレットに手を挟んでしまい右手の小指を複雑骨折してしまい労災を受けましたが、この会社、1年間の労災事故数があまりに多くて、厚生労働省から注意を受けたときいています。(僕の小指は今も真っ直ぐに伸びることが出来ません。親からもらった体の一部を損なってしまったのです……)

ここで働いたとき、つくづく思ったのが、根本の考え直さないとこの地獄のような宅配システムは改善されないだろうということです。地方に住んでいて、運転のできない人や、高齢者の方といったいわゆる「買物難民」の方には宅配は絶対に必要だと思いますが、都会に住んでいてお店も周りにいっぱいあって、それでスマホやパソコンからクリックひとつで注文して届けてもらうってどうなのか? アマゾンとか、ネット通販とかの「便利」は本当に必要なのでしょうか? 本当に必要なものを買っているのでしょうか? そんなことを毎日、大量の荷物に囲まれながら考えました。

修学旅行の季節には、大量のボストンバッグやスポーツバッグが運び込まれました。昔だったら、学生が自分で荷物を運ぶのが当たり前で、いかに少なく軽量にするか考えたり工夫して「旅行」も学んだものです。それが今や、金を払えば家に着けば届いている、こんな旅行って必要なんかい!とパンパンに詰まった重い荷物を仕分けしながら、心の中で毒づいたものです。その他、ゴルフバッグや、スキー道具一式を仕分けしながら、金持ちが遊んだ後始末をしている下層の悲哀をたっぷり味わったのでした。何でもかんでも宅配だ、私、金払う人、あなた届ける人、という「便利」を享受する陰には、荷物を早く届けるために、時間に追われくたくたになって配送する人たちがいて、利益第一主義、経費節減のために安い賃金で疲弊し、中には家族や生活が崩壊する人もいるでしょう。『家族を想うとき』は本当に遠い国の映画ではないのです。 (ジャッピー!編集長)

 

 

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