ひとつ前の当ブログ(1月7日)に書いたように、浅草に初詣に行って、かつて「浅草中映」や「浅草名画座」があった場所に大きなホテルが完成間近となっているのを見て、僕は感傷的な気分になってしまいました。その映画館に集まった人々の「気」みたいなものはどこに行ってしまうのだろうかと。

浅草のホテルは明らかに東京オリンピック、パラリンピックも視野に入れた外国人観光客を見込んでのものですが、それ以外でも東京の街の変貌はものすごいスピードで進行しています。僕の住んでいる街のごく近所でも、昨年(2019年)のうちに、クリーニング屋さん、蕎麦屋さん、パン屋さんが相次いで閉店しました。どれも個人商店です。クリーニング屋さんは、僕が勤め人時代、毎週ワイシャツを出していたし、スーツやコートも季節ごとに洗ってもらっていたお店です。駅の近くにチェーンのクリーニング店ができて、そっちの方が料金が安いのでお客をとられたかもしれません。でも、手仕上げで丁寧な仕事ぶりで、いつも出来上がったワイシャツを着るとシャキッとした気分になりました。僕が教員を辞めてから利用することが減ってしまいましたが、いつも忙しそうにアイロンをかけたりしていました。一度、ご主人が体調を崩されてお休みが続いたことがありましたから、健康上の問題があったのかもしれません。

蕎麦屋さんは、毎年、年越しそばを食べるぐらいでしたが、落ち着いた良い店でした。今、テナント募集の看板が出ています。また、パン屋さんはいわゆる「今どき」の店じゃなくて、サンドウィッチなんかも自家製のタマゴペーストをはさんだ懐かしい味でした。コンビニが乱立し、トラックで運ばれてくるサンドウィッチやおにぎりを買う人が多くなっていたのでしょう。いつの間にか、お店はシャッターが閉まったままになっています。クリーニング屋さんの建物(借りていたと思います)もなくなり、更地になったあと、今はコインパークになっています。そのうち、ここにクリーニング屋さんがあったという記憶も薄れ、一所懸命、汗だらけで働いていたご夫婦がいたことなど誰も思い出さなくなるでしょう。僕はこういうのにとても弱いのです。

昨年、こういう昔ながらのお店や商店街が駆逐されていくことを描いた映画がありました。『わたしは光をにぎっている』(2019 中川龍太郎監督)です。田舎から、父の親友だった男(光石研さん=助演男優賞ものの好演です)を頼りにやって来た澪が、光石さんの営む銭湯を手伝いながら少しづつ街に馴染んでいきます。はじめはスーパーでバイトする澪ですがテキパキこなせないので先輩(といっても年下の高校生)にも軽んじられたりで辞めてしまいます。新しい環境にすぐペースを合わせられない不器用な澪を演じる松本穂香さんが、まさにピッタリです。銭湯を手伝うようになって、ちょっと豪快な姐御肌の徳永えりさんや、映画館に勤務(何と映写室に寝泊まりしている!)する渡辺大知さんなどと親しくなり、自分の居場所になっていきます。

しかし、区画整理で銭湯も廃業ということになってしまう……というストーリーですが、実際にこの映画のロケを行った「立石」の銭湯も55年の歴史に幕を下ろしたそうで、劇中に出てくる呑み屋が並んだ横丁も縮小されてしまったそうです。撮影のときあったものが、1年後には無くなり映像にのみ残っている……そういう意味では、まさに街の風景の貴重な記録でもあるのです。昔だったら何十年かで変貌したのが、今やたった1年。こういったドラスティックな変化があちこちの「街」で進行しているのでしょう。こうして、「街」という場所が失われれば、そこに住む人の歴史も途絶えてしまうのです。何と淋しいことでしょうか。

『わたしは光をにぎっている』というタイトルは、映画の中に出てくる詩のフレーズです。(中川監督は詩人でもあるのです)形あるものは無くなるけれど、言葉は残る。言葉は光だから……という詩はとても印象に残ります。過ぎゆく「街」の景色を、記憶を心にとどめること。こんな時代を生きるヒントであるように思います。というわけで、僕の昨年観た日本映画のベストにあげたい作品です。 (ジャッピー!編集長)

 

 

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