昨日1月17日に、元・中日ドラゴンズの高木守道さんが亡くなりました。78歳です。プロ野球を夢中になって観ていた頃に活躍されていた方なので残念でなりません。

特に、僕は少年時代(そして今も)大のジャイアンツ嫌いだったもので、セ・リーグでずっと巨人が優勝している(9連覇)のを阻んだ1974年の中日ドラゴンズにはかなりの思い入れがあります。その前から、ドラゴンズは好きな選手が多い球団で、特に高木守道選手はお気に入りでした。中暁生選手と守道さんの1、2番や、守道さんと一枝修平さんの二遊間なども玄人好みの名コンビで印象が強いです。一枝さんが移籍した後は、バート選手という外人選手が遊撃に入って、高木さんとの二遊間は本当に鉄壁でした! (このバートという選手は今まで来日した外国人選手で間違いなく最も守備の上手い選手でした)当時、新聞のスポーツ欄を熟読していた僕が「いぶし銀」という言葉を覚えたのも、高木守道選手に形容するのに使われたのを読んだからでした。その頃、自分で「プロ野球ブック」なる個人雑誌?を作っていて(このことは当ブログ2018年2月26日を参照)、そこによく、「いぶし銀」とか「守備に定評がある」とか、野球記事定番の表現を多用していたのでした。

だいたい僕は昔から、僕は長嶋茂雄選手や王貞治選手のような大スターよりも、もっと職人肌の選手が好きだったのです。ドラゴンズのセカンドを守る高木守道選手はまさに「職人肌」という感じで、小柄な体で地味に黙々とプレイをしている印象が強いです。ファインプレーをしても、当たり前のように淡々とベンチに帰っていく姿は実にカッコよかったです。いかにも口数が少ないという雰囲気でした。今の選手はちょっとしたプレイでもすぐに派手なポーズをとったり、感情を出し過ぎと思います。

そして、前年1973年はギリギリ最終戦で阪神タイガースを下し、9連覇を達成した読売ジャイアンツがついに優勝を逃した1974年、見事にドラゴンズがわずかな差で優勝を果たしました。ダブルヘッダーの第一試合で左腕の松本幸行投手が勝利をあげ、マジック1となり、松本投手が試合後「いよいよだね」とインタビューに答えたこと、第2試合は、この年リリーフでも活躍した星野仙一投手が見事に完投勝利をあげ、マウンドで吠えたこと、木俣達彦捕手がすごい勢いで飛びついたこと(これで星野投手はどこかを痛めて日本シリーズは調子が悪くなりました)、谷沢健一選手が祝勝会で「日本シリーズ? そんなのもうどうでもいい!」と喜びを爆発させたこと、すべてはっきり覚えています。最近の優勝チームとかけっこう忘れているのに、この1974年のドラゴンズ優勝が鮮明に脳に保存されているのです。

そして、その後、テレビのスポーツニュースを見まくり、優勝後にレギュラー陣が打順に従って並び、「燃えよ!ドラゴンズ」を歌ったシーンもはっきりと記憶に残っております。向かって一番左に立った高木守道さんが♪一番、高木が塁に出て~ と唄ったのです! ちょっと浅黒い顔で、いつも試合中は表情を崩すことのなかった高木守道さんが顔をほころばせて、この歌を唄ったシーンは本当に印象的で忘れられません。ちなみに、このとき隣りに立った谷木恭平選手が、♪二番、谷木が送りバント~ と唄うところ、ふざけて♪二番、谷木がホームラン~と唄ったことまで覚えています。

中日ドラゴンズ一筋、チームを引っ張って、素晴らしいプレーを見せてくれた高木守道さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)

 

 

 

 

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