ひとつ前のブログに書きましたが、『AI崩壊』(2020 入江悠監督)のように、「AI」が人間の選別を始めたら僕なんか間違いなく「処分される」先頭集団に入るでしょう。年齢もいっているのに子どももいないわ、富もないわ、社会に貢献しているわけでもないわの三球三振です。自分でも、こんな人間が地球の貴重な水や食糧資源を消費していいのだろうか……と憂鬱になることがありますから、「AI」は見逃してくれないでしょう。

この映画は、入江悠監督のオリジナル脚本だということですが、当然最近の日本社会の空気も反映しているようです。「AI」を暴走させる犯人の動機は、「生産性のない人間を合理的に消すことが、これからの日本のあるべき姿だ」みたいなことですから。どこかで聞いたセリフですよね、スギタ水脈議員。

スギタ選民主義議員といえば、当ブログ1月30日「スギタ水脈と『やまゆり園』殺傷犯は同類」に書いたように同根の思想を持つ植松聖被告が、昨日の裁判員裁判で遺族の質問に答えました。相変わらず「意志疎通がとれない人は社会の迷惑」とか「殺したほうが社会の役に立つと思った」などということを言っていると新聞で読みました。この差別的で独善的な言葉には、耳を塞ぎたくなります。まったく、何でこういった人間がいるのか、心が冷え込みますが、一方、植松被告「長年育てた母親を思うと申し訳ない」と語っています。この男には、殺したり傷つけたりした方たち一人ひとりにも親がいて、それぞれが名前に願いをこめ、育ててきたことには思いが至らなかったのでしょうか。

『AI崩壊』の犯人も、捕まっても反省せず「望むと望まないにしろ、もうこういう流れは止められないんだ。人間は地球の主役ではなくなっているんだ」といったことを言うのです。本当に、人間を数値化し、価値があるかないかを選別することは実際進行しているような気配で怖いです。マイ・ナンバーとかで、がっちり国民ひとりひとりの情報は握られ、管理されているのでしょう。たぶん、僕たちが思っている以上に、丸裸にされているのだと思います。この映画に出てくる「システム」のようなものを使用して、『新聞記者』(2019 藤井道人監督)に描かれたように内閣調査室で日々「選別」をしていることでしょう。(当ブログ2019年8月20日「今そこにある『表現の不自由の空気』」を参照ください)

何かというと「個人情報」を盾に「桜を見る会」について何にも明らかにしない政権は、ある意味「個人情報」の価値を一番分かっているのかもしれません。自分たちだけが知り得て利用できるアイテムとして手放せないものとして。劇中でも選別主義的な政策を持つ副首相(酒向芳さん)が一枚かんでいて、「AI医療システム」を狂わせ、首相(余貴美子さん)のペースメーカーを作動させなくし「殺した」のです。権力者の都合で、こういった「技術」を悪用するなんて容易いものでしょう。一部が「情報」という財産を握っている全く怖ろしい世の中になったものです。科学技術は本当に人間を幸せにしたのでしょうか……。

映画のラスト近く、大沢たかおが犯人に向かって言います。「AIがどんなに進化しても、人間にしかできないことがある。それは責任をとることだ!」これ、どこに向けて行っているか明らかですね。アベ晋ゾー、よく聞いておけ!  (ジャッピー!編集長)

 

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