2月11日に野村克也さんが亡くなりました。84歳です。足元がおぼつかないお姿も多くなってはいましたが、最近もけっこうテレビにも出ておられたし、まだまだ元気そうだったので驚きました。(昨日「徹子の部屋」が追悼で緊急放送していましたが、収録は先月、1月20日だったそうです) 特に奥様の沙知代さんが亡くなってからは、

急速に年老いた感じでしたが、「虚血性心不全」という死因まで同じとは……。(当ブログ20171211日「追悼・野村沙知代さん 野球をとるか女をとるか」参照) 

僕はプロ野球を長年観続けていますが、その中でもっとも「監督」として興味を持ったのが野村克也さんです。引退されたあと野球評論家になり、テレビ解説に「野村スコープ」を導入、ズバズバ配球を当てていたのを「すごい!」と見ていたファンとしては、早くどこかで監督やらないかなあと思っていたのです。1990年にようやく「ヤクルト・スワローズ」の監督に就任となりましたが、たしか当時の球団社長も、野村さんの「テレビ解説」を視聴して「この人に任せたい」と決断したと記憶しています。本当に、何で9年間も野村さんのような「野球」頭脳、知識、経験を持った人間を現場がほっといたのか理解できませんでした。南海解任の際のトラブルのイメージで、各球団が二の足を踏んだのでしょうか。だとしたら、プロ野球界は自らその発展を遅らせたと言わざるをえません。

ともかく、野村克也さんがスワローズの監督になって、僕は俄然応援しました。ONに対して、自らを「月見草」と称した野村さんの反骨精神が、当時から「財力」にまかせて選手をかき集め巨大戦力を備えていたジャイアンツにどう立ち向かうかが大きな興味でした。就任3年目1992年にセ・リーグ優勝、1994年は連覇して日本シリーズも制し、1995年、1997年も日本一になりました。「弱者の兵法」「ID野球」が「金満野球」に見事に勝ったのは胸がすく思いでした。ノムさんのそういったジャイアンツの愚かさを皮肉るコメントも爽快だったなあ。

特に、ジャイアンツが次々にポジションがかぶろうと「大砲」を獲り、それで優勝できると思っているのに対し、他球団でピークを過ぎたと思える選手、芽が出ないでくすぶっている選手などを獲ってきて上手く使う手腕は見事でした。いわゆる「野村再生工場」ですが、そういった選手たちに目を配っているのは、ご自身が「テスト生」から這い上がってきたということもあるでしょうし、南海を解任されたあと、「生涯一捕手」としてロッテ、西武と渡り歩いた経験もあるでしょう。「ひまわり」の長嶋茂雄さんなど、常に陽のあたるエリート街道を歩いてきた人とは違って、片隅で頑張っている選手や、引退がちらついてもまだまだ食らいつく思いが分かるのだと思います。そう、ノムさんの監督術の根本にあったのは「情」だったのではないかなあ。それじゃなければ、ミーティングで「人生とは……」「人とは……」といったことを説くことはできないと思います。今の監督で、そういった野球以外の「お話」ができる人っているでしょうか? そういった意味で「監督」らしい「監督」は、野村克也さんが最後のように思います。「ID野球」とか理論派という部分がクローズアップされますが、「情」のある人間くさい「監督」だった野村克也さんが亡くなり、本当に、ひとつの時代が終わったという感じです。

名選手であり、偉大な監督であった野村克也さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)

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