ひとつ前の当ブログに書いたように、ギリシャのアテネで採火された「聖火」が日本に到着しました。「仙台」に到着ということで、ああこれは「復興五輪」だったのだと思い出した人もいたと思います。多くの人は、そんな「肩書」を忘れていますよね。「復興五輪」と謳いながら「東京」という中央でやるというそもそもの矛盾、東京には何百億円ものお金がどんどん投入され、とってつけたように「復興」とかを冠するというのは本当に失礼ではないのかね。故郷に戻れない人がたくさんいるのに、「復興」を掲げて、東京に選手村やら競技場やら、ゼネコンが潤うだけの「オリンピック・パラリンピック」、東北の人たちはどんな思いで眺めるというのか。

先日、常磐線が全線開通したと祝賀ムードでした。確かに、それは嬉しいニュースですが、鉄道再開しても住民の帰還には結びついているわけではないからなあ。周辺地域の除染などの計画も進んでいない状況です。「オリンピック・パラリンピック」に費やすお金、本当に使うべきところがあるだろうと言いたいです。何だか、そういうことをないことのようにしている感じがしてなりません。東日本大震災で被災された方たちの前に出て胸をはって「復興五輪」と言えるでしょうか。

当ブログ3月12日「311に酷い映画を観てしまいました」に書いたように、『Fukushima 50』(2020 若松節朗監督)も、そんな「匂い」のする映画でした。ラストのテロップで「そして、2020年、東京五輪が開催される。その聖火は福島からスタートする」と、まるで全て解決しましたというようなまとめ方には本当に憤りを覚えました。この映画の作り手が、本当に胸をはって被災地の方々にこの映画を見せれるのか問いたいものです。

そういえば、この映画の中で、佐野史郎さん演じる首相が、大変な状況の福島第一原発に出張ってきて混乱に拍車をかけるという描写がありました。もちろん、当時の菅直人首相をモデルにしているわけで、当時から問題行動とされていました。しかし、このくだりがかなり粘っこく撮られていて、佐野史郎さんの達者な悪役演技もあって印象に残るようになっていました。このあたり、何でも「悪夢のような民主党政権のときは……」とディスるのがお得意のアベ晋ゾー政権に忖度しているように見えます。先日、モリ雅子法相が「大震災のとき検察官が真っ先に逃げた」という文脈不明の狂った答弁をしたときも「当時は民主党政権ですが……」という前置きを忘れませんでしたよね。もしかしたら、この政権では何か言うときには「民主党政権では」というフレーズを付けるようにと訓練されているのですかね。それぐらいですから、この『Fukushima 50』にもそういう「何か」の力がはたらいているのかもしれません。

たしかに、あのとき当時の民主党政権の菅直人首相が邪魔だったという批判がありました。しかし、枝野さんなんかも寝ないで対応していたり必死に国難に対応する姿勢があったように思います。少なくとも、「新型コロナ対策会議」が開かれているのに欠席して、地元の後援会などに出て媚びていたコイズミ、ハギューダ、モリ大臣なんてのよりは緊張感あったし、まともに取り組んでいたと思いますよ。そもそも、アベ自身が「不要不急の外出は控えろ」と言いながら、連日のグルメ三昧でしたからね。あげくは原稿読むだけの会見ときては、どちらが「悪夢」なのかは火を見るより明らかですね。 (ジャッピー!編集長) 

にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!