ファイティング原田さん
 ボクサーは今でも群雄割拠しています。過去も振り返り、特筆すべきボクサーといったらファイテイング原田さん
の右に出る者はないと思っています。
 いちいち語るまでまもなく、昭和30年代後半からデビュウ―し、フライ、バンタムと世界王座を制覇してきました。
この当時の全日本クラスのチャンピオンでも今だったら充分世界王座に挑戦できるレベルといわれた時代です。
したがって、その時代の2階級の世界王座を獲得してきたということは偉業を超える事でした。
 昭和44年夏、丁度アポロ11号が月面着陸したと世間の耳目を集めたころ、原田選手はフェザー級の世界王座に挑戦します。3階級制覇を目指します。相手チャンピオンはオーストラリアのファメションという選手です。
 敵地オーストラリアで戦いの火ぶたはきられました。
 原田選手は15Rのなかで3回ダウンを奪いました。判定に持ち込まれるも、どう考えても”勝ち”です。
 しかし、しかし、驚くことに原田選手は判定負けしました。
 もろホームタウンデシジョンです。この戦いの模様はYOUTEBEにもアップされているのでご覧ください。
 https://www.youtube.com/watch?v=DmTJOMfKzeY

 悔しい悔しいと思うのは日本のボクシングファンは当然ですが、一番地団太を踏んだのは原田選手でしょう。
 しかし、原田選手は判定後一切不満気な態度をとることなく、一礼してリングをおりました。
 フライ級は50キロぐらいで、バンタム級は53キロ、そしてフェザーは57キロぐらいにもなります。
 その体重差の中で戦ってくることは至難の業です。それをやってのけたのに。
 この時代の3階級制覇と今のとでは比べる次元が違います。
 ところで、たこ八郎さんは原田選手と同門(笹崎ジム)、同期、同級でした。その名も本名斉藤清作のリングネームで全日本フライ級のチャンピオンにもなりました。原田選手はたこさんが片目だったというハンデを知っていました。
 ともあれ、底知れぬハングリーなボクシングの時代でした。
 最後にひとつ。
 後年、この時のオーストラリア人のチャンピオンのファメション選手が交通事故をおこし、瀕死の重傷をおいました。
 その枕元にはお見舞い金が届きました。送り主は原田さんでした。

 

 
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