東京都議会が始まりました。地方議会の不正など、議員の質の低下が指摘されている現在、どこまで「なれあい」ズブズブの体制から脱却できるか注目です。小池百合子都知事は、先月の定例会見で、豊洲問題に触れ「無責任体制と言わざるをえない」と言っておられました。全く、盛り土をしなかったあれだけの空間、誰がいつ、どこで決めたのかわからないなんてことがあるでしょうか(いや、ない)。
無責任、といえば、昭和映画好きは当然、植木等さんを思い浮かべますね。「ニッポン無責任時代」(1962 古澤憲吾監督)に登場したキャラクターは、それまでのサラリーマンものの映画で美徳とされた滅私奉公的なあり方を覆す強烈な存在感です。バーで偶然耳にした話をきっかけに、いつの間にか社員になって、調子よく取り入り、ハッタリをかまして、女性にはモテモテ、最後は社長にまでのし上がるんだから、痛快無比。当時、うだつのあがらないサラリーマンにとっては「こんな風に生きてみたいなあ~」と夢見たことでしょう。もちろん、無責任男というぐらいだから、今のコンプライアンスからしたらとんでもないことばかりしているわけですが、手八丁口八丁の自分の才覚でどんどん結果を出していく点は、実にエネルギッシュです。つまり、無責任男とはいうけれど、チャンスを自分でつかんで自分のやることには責任を負っていて、ある意味、のちのモーレツ社員につながる働きぶりなのです。スイスイいっているようにみえて、かなりな努力を要するわけで、それを厭わないのが植木さんの無責任男なのです。この辺が、今のただ議員の椅子にしがみついて、懐に転がり込んでくる政務活動費を猫ババするようなセコイ連中とは違うところですね。そもそも、体制側が無責任って何だよと思います。既得権益を守るに躍起になることのみの無責任と、ゼロから自分の才覚で枠を破って下剋上をはたす無責任は全く異なります。植木さんの体現した無責任とは、自由に=自分らしく生きることと同意なのです。
そして、同じ、東京五輪前の時期ということで、「ライバルは1964年」という広告にいちばん大きく映っているのが植木等さんですが、この人を超えることはちょっと無理だと思います。植木さん演じる無責任男の、クビになったって落ちこむこともなく「そのうち何とかなるだろう」と笑い飛ばすこの明るさ。まさに高度経済成長という右肩上がりの時代の象徴です。今の僕たちはそんな先の希望ばかり信じれるおめでたい世の中に生きていないからです。悲しいことですが。  (ジャッピー!編集長)

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