昨日はドラフト会議がありました。プロ野球ファンにとっては、有望な選手がどこの球団に入るか気になるイベントです。
昔に比べるとショーアップされているのが気になりますが、スポンサーがついているし、まあそれはいいでしょう。ちょっと違和感を覚えたのは、そのあと同じ局で「ドラフト緊急生特番! お母さんありがとう~夢を追う親と子の物語 運命の瞬間を生中継」という番組を放送していたことです。少し観てみたのですが、1位指名された選手が母親の前で感謝の手紙を読んだり、子供の時に家族がどんな苦労をしたかを再現ドラマにしていたりと、感動の大安売りという感じなのです。活躍してから苦難のエピソードを披露するならまだしも、。彼らはただ指名されただけで、プロ野球選手としては「何者でもない」のです。そして、故・三波伸介さんの「減点パパ」みたいに親の前で感謝の手紙を読み上げ涙を流すなんて、どうなのよ?と言いたくなります。大学の入学式に親がついて来るのが当たり前になっている昨今では、これが普通なんでしょうか。
かつて、石戸四六という投手がいました。秋田商からノンプロの日立製作所を経て国鉄スワローズに入団。まだドラフト会議が始まる前で、日立時代の監督・砂押邦信さん(立教時代に長嶋茂雄に猛ノックを浴びせ鍛えたことで有名)が国鉄の監督になっていたのでその「引き」があったのでしょう。石戸さんは球団事務所で契約金をもらってその足でタクシーを拾い、そのまま秋田へ帰省するのですが、途中、温泉街に立ち寄り、タクシーの運転手さんやたまたま旅館に泊まっていた一般の人にも大盤振る舞い、毎晩飲めや唄えやの宴会続き。ようやく秋田の大館に着いたころには契約金はほとんど無くなっていたといいます。それについて、石戸さんは「金なんてこれから稼げばいいんだ」と言い放ち、その言葉通り、5年目に11勝あげたのを皮切りに弱小球団で4年連続二桁勝利をあげる活躍をみせました。特に1968年には球団では金田正一以来の20勝をあげました。このときも19勝をあげたあと、広島戦で17安打も打たれ7点とられながら8対7のスコアで完投勝ち、見事に20勝目をあげたのです。今だったら、勝ち投手の権利を得たら継投に入るとか、勝てる展開で救援して勝ち星をつけるとか小細工するところですが、昭和の野球は違います。当時の別所監督が「このゲーム、お前にやる」と言って石戸投手に託し、試合中ブルペンでは誰も待機していなかったそうです。
今、ドラフトで指名され、テレビの感動番組に出ているような選手を見ていると、もうこんな豪快で個性的な選手は出てこないだろうなあと思います。石戸投手は1970年のシーズンは3勝に終わるとあっさり引退、秋田に帰りスナックを開店。そのスナックの店名は「神宮」でした。そして酒の飲みすぎがたたったのか39歳という若さで亡くなりました。      (ジャッピー!編集長)
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