昨日、このブログで審判のことを話題にしました。プロ野球の名審判といえば、二出川延明さんの名前がまず思い浮かびます。元々は選手として甲子園にも出場、1934年(昭和9年)に創立された大日本東京野球倶楽部に参加、翌年、東京巨人軍となり、アメリカ遠征では副将をつとめています。ちなみに巨人軍の初代背番号1です。
審判に転身、日本プロ野球史上最初の退場者になった苅田久徳選手(東京セネタース)に退場宣告したのが二出川さんです。戦後、2リーグ分裂後はパシフィック・リーグの審判になり、走者のアウト、セーフをめぐり抗議してきた西鉄の三原監督に「俺がルールブックだ!」と言い放ったのは有名です。他にも、明らかにストライクと思えた球をボールと判定され、南海の捕手・野村克也が抗議すると、「今の球は、気持ちが入っていないからボールだ」とピシャリと言ったのです。ノムさん、よほど頭にきたのか、後になってもご自身の著作でこのことを書いておられます。面白いのは、言われた皆川睦夫投手(日本プロ野球で最後の30勝投手、故人)は二出川さんのこの言葉に感銘して、以後、一球入魂を心掛けたといいます。
そんなプロ野球審判のレジェンド(野球殿堂にも入っておられます)、二出川延明さんのひとり娘が高千穂ひづるさんです。宝塚の娘役で活躍され、映画にも東宝の「ホープさん」(1951 山本嘉次郎監督)でデビュー。宝塚を退団後は松竹と契約、本格的に映画女優の道を歩まれます。松竹では時代劇が多く、「ホープさん」のような現代劇に出たいと思い始めた高千穂さんは「現代劇をたくさん作る」という東映に移籍しますが、すぐに中村錦之助、東千代之介などの時代劇が人気を呼び空前の時代劇量産体制になります。高千穂さんもお姫様女優として数多くの作品に出演なされました。その後、また松竹に移籍、喜劇、メロドラマ、ミステリなど役柄を広げていきます。松竹ヌーヴェルヴァーグが登場した1960年には「ろくでなし」(1960 吉田喜重監督)、「乾いた湖」(1960 篠田正浩監督)にも出演しました。そして、もう一本「武士道無残」(1960 森川英太朗監督)があります。森川監督はのちに大島渚の創造社に加わる人で、ヌーヴェル・ヴァーグ風味の異色時代劇ですが、高千穂さんのヌード・シーンがあり、背中側しか映らないのですが、吹き替えでなく、高千穂さんが乳首に絆創膏貼って挑んだのだと前にご本人がトーク・ショーでおっしゃっていました。その後、「にっぽん昆虫記」(1963 今村昌平監督)の主役(結局、左幸子さんが射止めた) を熱望して今村監督と面談したこともあったとか。東映時代のお姫様役から脱し、果敢に役に体当たりしようとする女優魂、これも二出川さんの気骨あふれる遺伝子を受け継いでいるからかもしれません。      (ジャッピー!編集長)
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