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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

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忖度ばかりの官僚たちに『リチャード・ジュエル』のセリフを

『リチャード・ジュエル』(2019 クリント・イーストウッド監督)を観ました。なかなか映画を撮れない監督が多い昨今、毎年、新作を公開するって、スゴイことです。ちゃんと作品としてのクオリティも高くて、商売としても採算がとれているということです。89歳ですが、もう超人としかいいようがありません。

このところ、実話に材をとることの多いイーストウッド監督、今回は1996年のアトランタ・オリンピックの際に起こった爆弾テロを取り上げています。モハメド・アリさんが震える手で聖火をつけた映像とか懐かしかったけれど、こうした「冤罪」事件があったのはよく知りませんでした。爆弾の入ったバッグが置いてあったのを発見した警備員のリチャード・ジュエルは、多くの人を避難させ命を救い、英雄になりますが、何としても犯人をあげようと焦るFBIや、スクープに躍起になる新聞記者のために一転容疑者となってしまいます。

一斉にメディア・リンチの状態になる怖ろしさが描かれますが、この「冤罪」の背景にあるのは、格差の中にひそむ偏見や差別、といった意識です。そういう意味では『ジョーカー』(2019 トッド・フィリップス監督)や『家族を想うとき』(2019 ケン・ローチ監督)、『パラサイト 半地下の家族』(2019 ポン・ジュノ監督)といった作品と同じく、「今」を照射しているといえます。母と貧しい暮らしをしているリチャードは純粋に人のためになる仕事をしたいと思っていて、ルールを順守し義務を果たす善良な人物です。しかし、見た目は太っていて、テキパキと要領よくこなすタイプではないので、FBIの捜査官も女性記者も彼のことを「下」に見ているのです。この連中のエリート意識と、「上から目線」には本当に腹が立ちます。国や社会の「正義」や「真実」を本当に支えているのは、リチャードのように地道に働く「普通」の人なのです。

そういう人たちへ目を向けることができるクリント・イーストウッドさんという人は、本当に「人間」への興味とあくなき信頼を持っている方なんだなあとあらためて思います。そして、あまりに警察やFBIといった「権威」に従順なリチャードに、サム・ロックウェルさんが「もっと怒れ!」と檄をとばし、とうとうリチャードも感情を露わにして言い合いになるシーンとか、キャシー・ベイツさんのスピーチとか、テーマを明確に伝えながら、きっちりドラマとして見せる演出手腕、絶妙の語り口に舌をまくばかりです。

ラスト近く、いよいよ、FBIに乗り込む場面、サム・ロックウェルさん扮する弁護士が、緊張するリチャードに「国を相手にするわけじゃない。国に雇われている3人のバカが相手だ」と励まします。このセリフを独裁者・アベ晋ゾーの顔色ばっかりうかがって忖度しまくる官僚連中に言いたいですね。「あなたがた公僕は国民に雇われているのであって、インチキだらけのクソ野郎アベに雇われているんじゃありません」と。 (ジャッピー!編集長)

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三國連太郎さんの吹替えをしていた宍戸錠さん

昨日に続いて、宍戸錠さんのことを書きます。宍戸錠さんは、日活第1回ニューフェイスに合格した1954年は「日活」が製作再開した年です。他の会社(松竹、大映、東映、東宝、新東宝)が固く「五社協定」をタテに圧力をかけたので、スターがおらず、「新国劇」と提携していたのでスタート当初は、島田正吾さんや辰巳柳太郎さんなどの時代劇がラインナップを埋めていました。監督は松竹から引き抜かれた西河克巳さんが他の監督に声をかけ集めてきました。今村昌平さん、鈴木清太郎さん(のちの清順)

さん、蔵原惟繕さんなども松竹の助監督でしたし、舛田利雄さんは新東宝からの移籍です。

宍戸錠さんは、その1954年『かくて夢あり』(1954 千葉泰樹監督)でデビューします。僕が観たことのある作品で一番古い錠さん出演作は『黒い潮』(1954 山村聰監督)です。(この映画については当ブログ2018年6月7日「ブンヤ映画の力作『黒い潮』」に書きましたのでお読みください)俳優の山村監督についた助監督はファーストが鈴木清順さん、セカンドが今村昌平さん、その下に浦山桐郎さんという後からみると超豪華な顔ぶれです。

翌年には『警察日記』(1955 久松静児監督)に出ています。市井の人々の生活感にあふれた人情ドラマで子役の二木てるみさんの演技も話題になった名作です。錠さんは若手巡査を演じています。署長(三島雅夫さん)に剣道の稽古の相手をさせられたり、この辺ではちゃんと役名もついていて「仕出し」ではありませんが、脇役なので、朝9時に撮影現場に行っても延々と夕方まで待たされることもしばしばで、錠さんは「この映画にオレは必要ないんだ……」といじけて撮影所を出ていってしまい、大目玉を食ったというエピソードが知られています。まだ20歳そこそこの錠さん、「待つのも仕事」というのを知らなかったのかもしれませんね。何でも、主演の森繫久彌さんを4時間半も待たせたといいますから、ある意味、大物です。

同じ若手巡査を演じた三國連太郎さんはすでに主演クラスの俳優で、錠さんはニューフェイスで入ったといってもまだまだ無名の脇役。『女人の館』(1954 春原政久監督)では、主演の三國さんに殴られる役で出ていますが、このとき三國さんが本気で殴ったので参ったといいます。いつも本気モードの三國さんには、後年、森雅之さんや有馬稲子さんも悩まされたのですが、その先駆ですね。(当ブログ2019年6月21日「三國連太郎さんの本気伝説『夜の鼓』」をご参照ください)

ニューフェイスとして「日活」に入社した錠さんですが、しばらくは脇役をこなしながら、多くの作品にいわゆる「仕出し」で出ています。体格が似ていたからでしょう、しばしば三國連太郎さんの吹き替えをされたといいます。

しかし、こうした吹替えでアクションを現場でこなしたことがのちの「無国籍アクション」以降の錠さんのパフォーマンスに活きたのではないでしょうか。たびたび、驚異的なアクションを見せて僕たち観客を楽しませてくれました。特に『野獣の青春』(1963 鈴木清順監督)では、敵に捕まり逆さ吊りにされながら格闘するシーンがあり、これはすごかったなあ! 錠さん自身の体力と運動神経の良さはもちろんですが、数々の吹替えでどうすれば「見せる」アクションになるかを体で覚えたのだと思います。(ジャッピー!編集長)

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追悼・宍戸錠さん ジョーさんに4回会いました!

昨日1月21日、俳優の宍戸錠さんが亡くなりました。86歳です。多くの映画で活躍され、頑丈な肉体というイメージが強い方だったので、亡くなるということがピンときません。本当に残念でなりません。

僕は宍戸錠さんの出られた映画をたくさん観ていますが、実際に錠さんを見たことが4回あります。これは僕がリアルに見たスターとして最多かもしれません。1回目は、かなり前のことですが、渋谷のパルコ近くの交差点を歩いていて、偶然、立っていた錠さんを見かけたのです。「あ、宍戸錠だ」と近くを通行する人が話していて、錠さんはそれに気づいたのか、ニヤッとしていたのを覚えています。カジュアルな服装でしたがカッコよくて、やっぱり目立っていましたねえ。

2回目は1995年。シネマロサで『スキヤキ』(1995 すずきじゅんいち監督)という映画の初日を観たときです。この『スキヤキ』という映画(いい映画でした!)は双子の関谷理香さん、由香さんが主演なんですが、宍戸開さんが理香さんが惹かれる青年役で出ていたのです。初日ということで出演者の舞台挨拶があり、宍戸開さんも登壇したのですが、司会の人が「実はお父様の錠さんもおいでになっています!」と言って、客席にいた錠さんが立ち上がり、小走りにステージに向かい、片手をついてヒラリと飛びのったのです。ステージはけっこうな高さがあったのですが、階段を使わず、飛びのった身の軽さ、さすがでした! このときもう60歳をこえていたのですから驚きです。サプライズ登場ということで、会場から「おおーっ」と歓声があがりました。壇上で短いスピーチをしましたが、息子の出演を喜んでいる様子で、良い父親なんだなあと思いました。

3回目は2005年です。ラピュタ阿佐ヶ谷で日活アクション映画の特集上映があって、錠さんがトークショーを行ったのです。しかも、僕の愛読書「日活アクションの華麗な世界」の著者・渡辺武信さんが聞き手をつとめるというので「これは見逃せない!」と出掛けたのでした。3月27日(日)で17時から『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(1967 野村孝監督)とセットでした。この錠さんの代表作であり、日本のハードボイルド映画の最高峰である作品は何度も観ていましたが、ご本人のお話が聴けるのですからまた格別の味わいでした。そして、このトークショーには何と錠さんのガン・プレイの実演までありまして、あの狭いラピュタのスクリーン前の空間で見事なガン捌きを見せてくれたのでした! このとき、お相手をつとめたのがガン・エフェクト師のビル・横山さんで、このときが縁で「ジャッピー!」23号でインタビューをしたのでした。

そして、2006年の夏、このビル・横山さんが出演する「カントリー&ウエスタンの夕べ」というイベントを観に行ったら、ショーの途中、錠さんがゲストとして登場。観客席からの挑戦者と早撃ち対決をされたのです。もちろん、かつて映画界で世界3位と言われた早撃ちのエースのジョーですから、素人相手にハンディをつけました。撃鉄を起こさず、ガンベルトに入れたまま、引き金に手もおかないというスリー・ハンディですが、それでも素人は勝てないのですから、錠さんのガンさばき、スゴイもんです。」

このイベントで、錠さんのTシャツが販売されていて、僕も購入。錠さんがサインをしてくれ、握手をしたのでした。これが4回目の遭遇でした。Tシャツは『拳銃(コルト)は俺のパスポート』の錠さんをマンガのコマ風にデザインしたものです。洗濯しているうちにサインはかすれてきてしまったけれど、夏になったらまた着ようと思います。

そんな思い出のある宍戸錠さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)

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高木守道さんの「熱さ」を証明する3つの場面

ひとつ前の当ブログで、2012年高木守道さんが2度目の監督に就任してから、ヤジを飛ばした観客に言い返したり、投手起用に関して権藤博コーチとケンカするなどがあったことを書きました。僕の中では、現役時代の高木守道選手は無口でもの静かな職人というイメージだったので、ちょっと意外でした。お歳をとられたせいかと思ったのですが、元々、短気で「瞬間湯沸かし器」と言われていたことをあとになって知りました。選手にとっては「高木守道さんは本気で怒ったら星野さんより怖い」と、もっぱらの評判だったそうです。

そう言われると、そんな一面を垣間見せたシーンが現役時代にもありました。覚えている方がいるかもしれませんが、巨人戦で、高木選手が三塁ランナーで、次打者の打球で三本間に挟まれ、ボールを持った関本四十四投手がボールが入ったグラブで高木選手の顔面にタッチしたことがありました。もうほとんどボクシングのフックみたいな感じで、さすがに高木さんが怒って食ってかかりました。しかも関本投手は謝るどころか、高木さんに殴りかかり、高木選手も応戦、乱闘騒ぎになりました。この「紳士」球団らしからぬダーティな行為のせいか、関本投手はこの年のオフに太平洋クラブ・ライオンズに放出されてしまいました。(加藤初さんとのトレード)これは、テレビで観ていても高木さんが怒っても無理のない案件でしたが、その他にも、堀内恒夫投手からデッドボールをくらった高木選手が怒って、ヘルメットを投げつけマウンドに迫っていったことがありました。

このときは、あの高木さんがこんなに頭に血を上らせることがあるんだ……とビックリした記憶があります。この2つの場面、はっきり覚えていますが、いずれもジャイアンツ戦なのは、当時はテレビの野球放送はほとんど「巨人戦」しかやっていなかったからです。なので、もしかしたら、他の試合でも、高木さんがホットな状態になったことがあったのかもしれません。

上の二つの案件で高木選手は「退場処分」にはなりませんでしたが、とうとう高木守道さんが「退場」を食らったのは、監督になってからです。第一次政権のときの最終年、1995年のことです。なぜ、すぐに年度が出てくるかというと、この退場の日が高木監督の第一次政権時の最後の采配の日だったからです。この日を最後に高木監督は成績不振のため休養(事実上の解任)となってしまったのです。このとき、一塁のアウト、セーフを巡って、一塁塁審の胸をつく暴力行為で退場となってしまったのですが、いきなり手が出たように見えました。まるで最初から「退場」になるために手を出したように見えました。そもそも、そんなに抗議するような緊迫場面でもなかったし。このときスポーツニュースを見て、ああ、きっと高木監督は「途中解任」ということになってしまって、球団にも自分にも苛立っていたのだなあ……と思ったのでした。だからといって、こんな風に自分の感情のために暴力をふるうような人に見えなかったのでショックはショックでした。

晩年、二回目の監督時には「俺は暴走老人だから」と自虐的に言っていたそうですが、いやいや、お若いときから胸の中に「熱い」ものを迸らせていた方だったのです。そういう意味でも、もっと長く監督姿を見たかったです。 (ジャッピー!編集長)

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高木守道監督就任のバッド・タイミング

一昨日の当ブログで、1月17日にお亡くなりになった高木守道さんの選手時代のことを書きました。二塁手でベストナイン7回というのは、現在でも最多ですし、数々の記録も持っています。ちなみに、ドラゴンズで初めて名球会入りしたのは高木守道さんです。(この団体は「昭和名球会」なので昭和以降生まれが対象。なので杉下茂さんは対象外なのです)僕は、高木守道選手が引退したとき、ドラゴンズ一筋で申し分ない実績をあげた守道さんの背番号1は永久欠番に値すると思ったものです。

その後、高木さんはコーチとなり、山内和弘監督(通称・かっぱえびせん。シュート打ちの名人。この人も好きだったなあ)が休養した1986年に、後半、監督代行をつとめたので、翌年は監督になると思ったら、星野仙一さんが監督に就任したので僕は残念に思った記憶があります。順番からいって高木さんだろと思う一方、「やっぱり、守道さんは無口で、無骨な職人肌で監督は向かないタイプなのかなあ」と思ったりしました。監督として星野さんの方が「客ウケ」するし、高木さんは地味すぎるという「営業」的な人事だったのかもしれません。

その星野監督が2位の成績ながら退任、1992年に高木守道さんが監督に就任します。最初の年こそ最下位でしたが、2年目に2位、3年契約の最終年(1994年)はジャイアンツが首位を走りましたが、驚異的な追い上げを見せ、あの「10.8決戦」となります。(この日は土曜日で、当時、映画雑誌「ジャッピー!」の飲み会をしていました)実は、まだペナントレースが行われているのに「次期監督は星野仙一の再任」という情報が出ていたので高木監督としては面白くなかったと思います。それが猛追で優勝の行方を最終試合まで持っていったというので、一転して監督継続。ところが、翌年1995年は低迷して、1986年とは逆に、今度はご自身が途中休養、徳武コーチが代行をつとめることになりました。後年、高木さんは「やっぱり、2位になろうがあのときに辞めておけば良かったかな」と回想していましたが、それも後から思えることであって、タイミングというのは本当に難しいものです。

その後、ドラゴンズは落合博満監督が一時代を築き、高木守道さんはもう監督はないかなと思われた2012年、二度目の就任となります。これには僕も驚きました。その前年も落合監督のもと、優勝しているのですから。たしか、落合監督が外部コーチをどんどん登用していることに一部の球団上層部がこころよく思っていなかったとか、本社内の落合派と反落合派の一種の「お家騒動」だったと言われていました。本当のところは分かりませんが、高木守道監督のもと集まったコーチ陣は全員ドラゴンズOBでしたから、「外様政権」に対するクーデターという動きはあったのかなあと思います。守道さんが監督、権藤博さんが投手コーチというレジェンドが就任して、1年目こそ2位になりましたが、2年目はBクラスに沈み、第2次高木政権は2年間で幕を下ろしました。この期間、負けがこんでくると、落合監督と比較されたり、権藤コーチと口論しているのが映し出されたり、球場で野次を飛ばした観客に応酬するなど、けっこう大変だったと思います。

よく。野村克也さんが「わしはいつも弱い球団を任された」とボヤいていましたが、勝っているチームを引き受けることの方が大変な気がしますね。思えば、高木監督は星野仙一さん、落合博満さんという強烈な個性を持った人物の前後に就任したタイミングが悪かったと思います。もう少し、じっくりと長いスパンで体制を整えて監督をさせてほしかったなあ。そういう意味では、タイミングが悪かった不運もあるし、監督として恵まれた状況ではなかったですが、「10.8決戦」の敗戦のあと、何人かの選手が監督室に来て「監督、来年また一緒にやりましょう!」と直訴したといいますから、これは監督冥利に尽きた思い出となったでしょう。(ジャッピー!編集長)

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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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