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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

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あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

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川又昂さんと小津安二郎監督

1016日の当ブログ「追悼・川又昂さん 写真少年から映画の名カメラマンに」で書いたように、1945年(昭和20年)4月に松竹大船撮影所に入った川又昂さん、元々その作品に感動していた小津安二郎監督の撮影助手となり、小津監督に全カットを写真に起こすよう命じられました。大変な作業でしたが、キャメラマンとして大きな財産となったわけです。

川又さんが小津組になるきっかけは、小津監督作品に欠かせない厚田雄春キャメラマンに最初に師事したからです。戦争に行ってきた厚田さんが帰ってきて、同じ撮影助手の井上晴二さんから「一緒に厚田さんに付こうぜ」と誘われます。厚田さんに付けば、のちのち小津組に入れるという計算があったのでしょう。しかし、厚田さんは短気な性格で口より先に手が出る方だったそうです。そのせいもあって、若手は皆、ちょっと敬遠気味で助手につきたがる人がいなかったらしいのです。そこに果敢にも?川又さんは入っていったわけです。大島渚さんは自身が助監督時代に、助手の川又さんが厚田さんにパン棒で頭を殴られているのを目撃したそうです。それでも川又さんが厚田さんに誠実に仕えていたのが印象に残っていると、のちの著作で回想しています。

その厳しい厚田さんも小津監督の前では逆らえません。構図からカメラワークまで全て小津監督が決めてしまい、厚田さんはキャメラマンでありながらファインダーもなかなか覗かしてもらえなかったといいます。段取りがすべて決定してから、厚田さんがやっと「すみません、覗かせてください」と小津さんに言ってようやくキャメラを覗いたといいます。厚田さんはそんな状況を「キャメラマンじゃなくキャメラ番だよ」と自嘲していたそうです。それぐらい、当時の撮影所、特に巨匠の現場では厳然としたヒエラルキーがあったのです。

川又さんも小津監督にしごかれました。名作『麦秋』(1951 小津安二郎監督)で、撮影助手のチーフだった川又昂さん、移動撮影のための台車を押す仕事を命じられます。元々、パンもズームも少ない「不動」のキャメラで知られる小津映画です。めったにない「移動撮影」も少しのズレも許されない緻密なタイミングが要求されます。俳優の歩く速度に合わせて移動車を押すスピードがなかなかうまくいきません。小津監督は納得せず、何度もやり直しです。朝から始めて昼を過ぎても繰り返されたといいます。俳優に対してもミリ単位の動きを要求してテストを繰り返すことで有名な小津監督、同じように移動車の押し方にも「もう一回、もう一回」を繰り返すのみです。正午になって他のスタッフたちが食事になっても、川又さんは移動車を押す練習を続けていました。黙々と繰り返す姿を見かねた後輩が菓子パンを手渡し、それを口にしながら練習をしていると、小津監督、「侍の子は腹が減ってもひもじうない!」と一喝したといいますから、今だったら「パワハラ」でしょうか。しかし、午後、ようやく小津監督からOKをもらったときの喜びはひとしおで、のちになっても夢の中に出てくるほどだったといいます。

こうして厳しくしごかれた川又さんですが、怨むどころか小津監督の作品に対する妥協しない姿勢と情熱にますます尊敬の念を抱いたといいます。そして、『麦秋』から2年経ち『東京物語』(1953 小津安二郎監督)にも付いた川又さん、今度も移動撮影がありました。このとき小津監督の「淡々と行こう」という意図を理解し、移動車を押した川又さん、今度は「やはり又さんだよな」と褒められたのです。川又さんが2年前にしごかれたことがちゃんと身についていて、世界的な名作の撮影に貢献できたのです。こうして映画技術の職人芸の伝統が引き継がれていったのです。

今、ニュースで報じられている神戸の小学校で起きた「先生のいじめ」事件。激辛カレーを目のまわりにつけたり、罵声を浴びせたり、先輩教員がただ自分のストレスを発散するために虐待しているだけにしか見えません。こんな大人が子どもたちの生活指導していたというのですからゾッとします。きっと、学校に限らず、いろんな会社や場所で同じようなことが起こっているのではないかと思います。後輩に愛情持って育てるとか、伝統を継承させるなんてこととは無縁にただ暴力と言葉のナイフが飛び交っている。ひどい世の中になったものです。 (ジャッピー!編集長)

 

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『インビクタス 負けざる者たち』と『復讐するは我にあり』

ひとつ前の当ブログで『インビクタス 負けざる者たち』(2009 クリント・イーストウッド監督)について触れました。1995年に自国開催のラグビー・ワールドカップで奇跡の優勝を果たした南アフリカを舞台にマンデラ大統領を描いています。迫力満点のクライマックスの決勝戦シーンは圧巻でした。映画だということを忘れてしまい本当の試合を観ているかのようで、すっかり引きこまれました。とにかくリアルな試合シーン、出演者たちも大変だったと思います。南アフリカ・チームのキャプテンを演じた

マット・デイモンさんも撮影に入る前からジムに通い、みっちりとトレーニングして体を作ったそうです。その上で、実際に1995年に南アフリカ・チームに所属していた人にラグビーのコーチをしてもらったそうですが、その人はデイモンさんの体を見て「この際、本当にラグビーをやってみたら」と言われたほどだったといいます。クリント・イーストウッド監督の息子のスコット・イーストウッドさんもラグビー初心者ながらチームの一員を演じています。得点すべてにからむ選手の役で「ドロップゴール」を決めなければならないのでキックをマスターするために猛練習したそうです。今大会など見ていると、あの楕円形のボールを蹴るだけでも大変そうだと分かります。ましてやゴールを決めるなんて……スポーツを題材にした映画は、こういった所がちゃんと撮れないと途端にウソっぽくなってしまいますからね、大変な重圧だったと思います。南アフリカの対戦相手のニュージーランドのオールブラックスの選手たちのキャストもロケ先の南アフリカで集めたそうですが、ラグビーだけでなくあの「ハカ」を覚えてもらうのが大変だったそうです。映画的な効果上もですが、マオリ族の伝統的な踊りですから「敬意」を示すためにもちゃんとしたものである必要があります。テーマが人種の協調である映画ですから「異文化」への尊重というのは重要なファクターであるとイーストウッド監督も思っていたのでしょう。

先程のブログでも書きましたが、白人政権により投獄されたマンデラさんが実際に収容されていた(27年間半のうち18年間)独房が映画の中に映し出されます。劇中でマット・デイモンさんが入ってみて鉄格子を閉めてみるシーンがありましたが、本当に狭いので驚いてしまいます。こんな場所で何十年も過ごしていたのか……と観る者はみな思うはずです。この「本物」の独房を映すことでマンデラさんが送ってきた苦難の道のりが観客に伝わります。幾多の科白を重ねるよりも雄弁に語られるという効果があります。さすがはイーストウッド監督です。近年は実話、実際にあった事件を題材にすることが多いイーストウッド監督、こうした「本物の醸し出す力」の究極が実際の当事者に本人役を演じさせた『1517分、パリ行き』(2017 クリント・イーストウッド監督)でしょうか。素人に演じさせるという離れ業で見事に作品に仕上げました。

「本当の場所」で思い出したのが『復讐するは我にあり』(1979 今村昌平監督)です。緒形拳さんが連続殺人犯・西口彰(劇中では榎津巌)を演じていて、後半、老弁護士の加藤嘉さんを殺害し死体を隠すのですが、このシーン、実際に殺害があったアパートを使っているんです。そのせいもあるのか、何だか妖気の漂うような場面でした。さすがの今村監督もロケハンで部屋に入った途端、「いやな感じがした」と語っていましたから、何か負のオーラが満ちていたのでしょう。(ジャッピー!編集長)

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『インビクタス 負けざる者たち』マンデラ大統領の願ったこと

ラグビー・ワールドカップ、決勝トーナメントに進出した日本は明日、南アフリカに挑みます。前回Wカップでは日本が劇的な勝利をおさめたとはいえ、やはり強豪です。油断はできません。いい試合を期待します。

ラグビーの「南アフリカ」といえば、1995年のWカップが開催され、大方の予測を覆して見事に優勝を果たしたことで知られています。初戦は前回大会優勝のオーストラリア戦、この優勝候補チームを破って予選リーグを1位で通過。決勝トーナメントではサモア、フランスを破る奇跡のような快進撃で、とうとう決勝戦に進み、ニュージーランドに1512という僅差で勝利をおさめるのです。白熱した試合だったなあ! と、まるで観てきたかのように書いていますが、実は映画で「再現」された試合を観ただけです。僕はラグビーは詳しくありません。これらは全て映画で得た知識です。(僕は多くのことを映画から学んでいます) もちろん、その映画とは『インビクタス 負けざる者たち』(2009 クリント・イーストウッド監督)です。この映画は、Wカップ当時のネルソン・マンデラ大統領を描いています。演じるのはモーガン・フリーマンさんで、よく似ていました。マンデラさんの自伝が出たときに「映画化されることになったら、あなたを演じる俳優は誰がいい?」と聞かれたマンデラさんがモーガンさんの名前をあげたというエピソードを読んだ記憶があります。そして、モーガンさんが企画し、イーストウッドさんに自ら監督をオファーしたのです。

南アフリカはかつてニュージーランドのオールブラックスと互角な戦いを見せていたといいますから元々ラグビーの実力があったのでしょう。しかし、当時の南アフリカのラグビーはまさに「白人」のスポーツで「アパルトヘイト」の象徴とみなされていたのです。南アフリカの黒人たちは相手チームを応援していたといいます。そして人種隔離政策「アパルトヘイト」への制裁措置として国際試合への参加を禁じられて以降はチームも弱体化します。そんなとき、南アフリカに生まれた初の黒人大統領がネルソン・マンデラさんでした。「アパルトヘイト」が廃止されましたが、国内は問題が山積していました。失業、経済不況、治安の悪化……、そして相変わらず人種の対立もありました。黒人たちは長年の憎悪を抱え、白人たちは報復されるのではないかと恐れていたのです。そんな状況でマンデラ大統領は、黒人と白人をひとつにしようと「過去は過去だ」という方針を打ち出します。大統領官邸の白人職員も追い出すことなく、黒人で固められていた大統領警備班に白人を加えたりします。

そんなマンデラ大統領が、ラグビーに対しても動きます。「アパルトヘイト」時代のチーム名やエンブレムを変えるべきという委員会を自ら説得します。ここにも「卑屈な復讐を果たすときではない」という「赦し」と未来への眼差しがあるのです。マンデラさんは白人政権によって27年間も獄中生活を余儀なくさせられたのです。映画の中に、実際に収容されていた監獄が出てきます。これが何と狭く粗末な部屋であることか。普通なら自分をそんな目に合わせた白人を怨んで仕返ししたくなるところです。しかし、彼が目指したのは人種の「異化」ではなく「共生」だったのです。分断と差別を煽るどこかの大統領とは大違いです。

マンデラ大統領の意向を受け、厳しい練習の合間にはラグビー・チームが黒人地区を訪問して子どもたちにラグビーを教えたりします。地道な努力でラグビーへの興味が浸透していき、Wカップを迎えます。映画のクライマックスは、決勝の南アフリカVSニュージーランド戦で30分以上に及びます。満員の観客といい、本当の試合かと思うほどの迫力です。チームの健闘に黒人たちも次第に応援するようになっていきます。勝利が決まり、スタジアムの外でもはじめは距離のあった白人の警備員と黒人の子どもたちが抱き合って喜びを分かち合うシーンが感動的でした。マンデラ大統領の理想が実った瞬間なのです。

そんなマンデラさん、ラグビーWカップの4年後の1999年にあっさり1期で大統領の座を降ります。この辺も、権力にしがみつきダラダラと3期も続けて「憲法改正」した首相として名を残したいだけのどこぞの総理と大違いですね。  (ジャッピー!編集長)

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唾棄すべき連中

週末また、大雨が降る予報が出ています。まだ台風の被害から復旧できていない地域が多いのに……。
台風
19号による大変な被害に対して、自民党のニカイ幹事長は「まずまずに収まった感じだ」などと、宣った。最初は「撤回しない」と言っていたが、風当たりが強くなったのを感じたのか、「被災された皆様に誤解を与えたとすれば表現が不適切だった」と言ったようですが、素直に謝罪できないんだねえ。この発言、謝罪にもなっていないし、「誤解を与えた」とはどういう言い草ですかね。誤解も何もないだろう。多くの人が亡くなり、家や財産を流されてしまい絶望にくれている人がいるのに、こういうことを言うのはもうダメでしょう。何でこういうことを言うかというと、本音だからでしょう。前にも「東日本大震災」のことを「東北の方で良かった」と言った大臣がいまたことを忘れてはいけません。これが連中の体質なのです。、さすがは昨年の夏、関西地方に台風で多くの人が避難という時に宴会開いて、酔っ払っていただけのことはあります。(当ブログ2018年9月4日「『深川安楽亭』と『赤坂安楽亭』にも書きました)この政権は国民の命なんかこれっぽちも大切に思っていないのであります。

台風被害がすでに出始めているときのアベ晋ゾウのツイート、ご覧になりましたか? 「……ラグビー日本代表の皆さんの雄姿は被災者の皆さんにとっても元気と勇気を与えてくれるものだと思います。日本代表初の決勝トーナメントのご活躍を……」何なんだよ、これは。河川が決壊し、濁流に流された人もいるんですよ。これが災害がまさに進行中の国のリーダーが呟くことなんでしょうか。まるで他人事。きっと、アベは酒でも飲みながらツイートしていたに違いない。同じ時間に他の政党のリーダーのツイートを見たら、枝野幸男さん、玉木雄一郎さん、志位和夫さん、山本太郎さんなど皆「台風」被害について心配するものでした。アベはもう心配する「フリ」すらしないようです。

こう毎年のように台風による災害を被るようになったのも「地球温暖化」が影響しているのでしょう。当ブログ9月25日「よくもそんなことが!」に書きましたが、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんのスピーチは本当に深刻な訴えだと思います。特に、これだけ続けて被害を受けた日本なんか本当に先頭に立って支持しなければならないのに、トランプのケツ舐めることに夢中になっているんだからなあ。アベの茶坊主に加わったコイズミ・ジュニアも「セクシー」とか言ってんじゃねーよ。どういう意味か問われると「説明はヤボだ」とかケムにまいて、今頃になって政府が「セクシー=(考え方が)魅力的な」って説明してましたが、きっと必死になって辞書をかたっぱしから引いていたのが目に浮かびます。あー、カッコ悪い。まさにセクシーじゃないじゃん。ウケばかり狙って中身カラッポの正体をさらした進次郎、とっとと横須賀に引っ込んだ方がいいと思いますよ。

そして、台風の最中、12日には政府は「社会保障費を1300億円圧縮する検討」に入ったとか。アベよ、消費税10%引き上げに関して「これで社会保障の充実を図り……」と言っていたのからわずか11日後、それも災害のドサクサに紛れてというのが本当に悪質です。アベ晋ゾー、やっぱりあんたは国難だよ! (ジャッピー!編集長)

 

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有楽町スバル座の最終上映は『花筐 HANAGATAM』

1012日の当ブログで、朝ドラ『スカーレット』の戸田恵梨香さんが30歳でセーラー服着た15歳の中学生に扮したことに触れました。戸田さんは撮影前に5キロ増量して備えたそうですが、たしかにちょっと顔が「ふっくら」している感じで思ったほど違和感を覚えませんでした。このところ、そういった俳優が実年齢よりうんと若い役をやったケースを話題にしてきました。前の朝ドラ『なつぞら』で35歳の板橋駿谷さんが高校生の役を演じたことや、鈴木清順監督の『けんかえれじい』(1966 鈴木清順監督)で、22歳の高橋英樹さんが思春期真っ只中の中学生を演じたことなどです。同じ『けんかえれじい』では、当時33歳の野呂圭介さんも中学生!を演じていたことも触れました。

他にも、『ドカベン』(1977 鈴木則文監督)で当時36歳の川谷拓三さんが「殿馬」役をやったなんてのもありました。もうこの辺になると、そもそも「マンガ」のキャラクターを実写化するのです(だいたい、誰に「殿馬」に他の演じられるというのだ!)から「確信犯」的なキャスティングだったと思います。でも、不思議に「殿馬」に見えちゃうものでこれはこれで楽しかったです。

しかし、その記録を破った?のが『花筐 HANAGATAMI』2017 大林宣彦監督)です。檀一雄の小説が原作で、大林監督が『HOUSE ハウス』(1977 大林宣彦監督)でメジャー・デビューする前から脚本を書いていたそうです。念願の映画化だけあって、反戦メッセージをストレートに訴えます。そして、その映像表現はまさに大林映画としかいいようのないもので、80歳になろうかという年齢でこの実験精神には脱帽するしかありませんでした。この映画は、戦争が迫る時代の高校生を描いたものなんですが、その高校生を演じるのが、窪塚俊介さん、満島真之介さん、柄本時生さん、長塚圭史さんの4人です。満島さんと柄本さんは当時28歳だからまだいいとして、窪塚さんは36歳、そして何と、長塚さんに至っては当時42歳なのです! 昔の高校生は老成していたといえ、どう見ても高校生には見えませんでした。大林監督といえば、少年、少女といっていい年代の俳優をうまく使う監督でしたから、この年長キャストは意表をついたというか、何か意図するものがあったのかなあと思ったのでした。窪塚洋介さんは『この空の花 長岡花火物語』(2012 大林宣彦監督)、『野のなななのか』(2014 大林宣彦監督)に続いての出演ですから、この「三部作」に欠かせなかったから周りの役者もそれに合わせたのか、窪塚さん、満島さん、柄本さんはそれぞれ俳優の兄姉を持つ「弟」であることにも意味があるのかなあとか考えたりもしました。

しかし、そんな実年齢とかけ離れたキャスティングも、大林監督の想像力の前では小さなことでした。すぐにスクリーンに引き込まれていったのです。この3部作、劇映画のような、エッセイのような、不思議な作風でこれはもう「大林映画」というジャンルでしか呼べないと思います。

僕はこの『花筐 HANAGATAMI』20171217日(日)、封切2日目に有楽町スバル座で観て、すっかり大林ワールドに浸かったのでした。(ちなみに『野のなななのか』も2014年6月7日にスバル座で観ています) そして、その有楽町スバル座ではメモリアル上映が行われていますが、閉館日、1020日(日)の大トリに上映されるのがこの『花筐 HANAGATAMI』です。9時半から『0.5ミリ』(2014 安藤桃子監督)、1430分から『花筐 HANAGATAMI』の上映で、スバル座は長い歴史に幕を下ろすのです。当日は安藤桃子監督、サクラさん、奥田瑛二さん、大林宣彦監督も来場してトークショーを行うそうです。(ジャッピー!編集長)

 

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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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