1980年、彗星のごとく甲子園に現れた早稲田実業・荒木大輔。空前の〝大ちゃんフィーバー〞が過熱するなか、荒木は3年の夏まですべての甲子園のマウンドに立ち続けた。ここでは早実野球部の絆と大人びた気風、本当の強豪校との対決、自らも憧れた〝甲子園スターの継承〞などとともに甲子園への思いを聞く。
1974年夏の準々決勝。原貢・辰徳の親子鷹で鳴らす優勝候補・東海大相模を下したのは、定岡正二を中心とした鹿児島実業だった。一夜にして無名のエースをスターに押し上げた名勝負を定岡が振り返る。
1974年夏の甲子園、野球が盛んな漁師町の古豪・銚子商(千葉)がついに頂点に立つ。2年生エースとして前年夏に作新学院の怪物・江川卓に投げ勝った土屋正勝は最後の夏、右腕の痛みを抱えながらマウンドに立ち続けた。その熱投を支え続けたものはなんだったのか。
かわいらしいルックスとは裏腹の、度胸満点の投げっぷり。1977年夏の甲子園で東邦の1年生投手・坂本佳一がチームを準優勝に導く好投を見せる。因縁の“名電”を倒すために一般受験での入学から強豪野球部の門を叩いた少年は、甲子園アイドル〝バンビ〟として一躍時の人となった。
高校野球史上最高の試合のひとつとして、今も語り継がれる1979年夏の3回戦、箕島対星稜。多くの昭和40年男の記憶にも刻まれていることだろう。劇的な展開が続いたこの試合を経て、公立高校初の春夏連覇を果たした箕島高校の奇跡を追う。
投手の身体を守るための球数制限といった制度改革と歩調を合わせて“脱根性論”が進む高校野球。しかし高校野球こそ、ど根性と反骨が燃える泥くさい世界だった。ここでは1980年夏の甲子園を制した愛甲猛に横浜高校で培ったど根性、そしてその闘魂が支えたプロ時代について聞く。
1981年夏、「高校生では打てない」と恐れられたカーブで、名古屋電気・工藤公康が甲子園をキリキリ舞いさせる。そのすごさと名電高快進撃の物語を、工藤を中学3年から知り、共に“最後の夏”を聖地で戦った捕手・山本幸二に聞く。
いつの時代も日本人を虜にする〝甲子園〞の3文字。その魅力はどこにあるのか。〝甲子園の申し子〞の一人、池田高校野球部出身の水野雄仁に話を聞いた。
大観衆を呼び、甲子園人気をピークに導いたPL学園の桑田真澄と清原和博。まさかの選抜準決勝完敗から悔しさを知り、慢心を捨てた王者PLは夏の頂点まで駆け上がり、KKコンビはこれ以上ない有終の美で最後の夏を締めた。
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