ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

ショーケンとガッツ石松さん

ひとつ前の当ブログで「極悪拳法」(1974 小沢茂弘監督)を紹介しました。敵役の多かった石橋雅史さんが、(主演の渡瀬恒彦さんと対決するハメになってしまうものの)家族思いの善い人を演じ、印象に残りました。この映画に出演した「キックの鬼」沢村忠さんは日本大学時代はの空手部にいたそうです。石橋さんは面識はなかったそうですが、後輩から名前は聞いてはいたそうです。
また、ガッツ石松さんについては、撮影後、石橋さんが東京に帰るため京都で新幹線に乗ると、ガッツさんも座っていて、「どうもお世話になりました!」ときちんと挨拶をしてきたそうです。その折り目ただしさに石橋さんはビックリしたといいます。当時世界チャンピオンのガッツさんが、全く偉ぶったり、傲慢なところがない人柄に感心したそうです。
ガッツ石松さんでもうひとつ思い出したことがあります。このところ、当ブログでよく取り上げている萩原健一さんが1983年、大麻取締法違反で逮捕されたときのことです。ショーケンは、大麻を売ったり、一緒に吸った仲間の名前をうたわず黙秘していたので長期拘留になっていました。麻薬取締法違反は証拠隠滅の恐れもあるので、ひと月ほど経ってようやく家族との面会が許されたといいます。それまでも数多くの友だちが面会を求めて警視庁にやって来たそうですが、刑事は誰が来たということは教えるものの一切面会は許してくれなかったそうです。そんなある日、ガッツ石松さんが果物の差し入れを持って面会を求めてきたのです。例によって、刑事はそれだけを告げて面会を許さないと思ったショーケンが「本当にありがとうございましたと伝えてください」と言います。そして、トイレに行くので刑事に同行をお願いして(被告は署内では一人でトイレに行けない)入ったところ、用を足している人がいて、それがたまたま入っていたガッツさんでお互い「おお」と声をあげたそうです。ショーケンが用を足して出てくると、廊下にガッツさんが立って待っていたそうです。ガッツさんは、ショーケンの横についていた刑事に「5分だけでいいですから、お願いします。もうこうして会っちゃったんだし、何も話をしなくてもいいんです。萩原君のそばにいさせてください」と頭を下げて懇願。本来は認められない面会ですが、刑事も渋々ながら許可してくれ面会室に入れてくれたそうです。ここにもガッツさんの人柄が刑事を動かしたのでしょう。特別に認められた面会で、5分経っても「あと1分」「もう1分」と粘り、20分に及んだそうです。ショーケンはうれしくて面会の間中、涙があふれてきたそうです。ガッツ石松さんの人柄と男気がよく分かるエピソードですね。 (ジャッピー!編集長)
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石橋雅史さんが印象的、異種アクション「極悪拳法」

一昨日、昨日の当ブログで書いたように、カンフー・ブームにのって空手映画を製作した東映に石橋雅史さんは欠かせない役者になりました。ほとんどが、千葉真一さん、志穂美悦子さん主演映画の敵役でしたが、良い人物も演じています。印象的だったのが「極悪拳法」(1974 小沢茂弘監督)です。
「極悪拳法」の主演は渡瀬恒彦さん。渡瀬さんも空手二段の腕前で、東映俳優の中でも喧嘩最強と言われていました。時代は第一次世界大戦勃発直前の頃、軍の情報を敵国に売る密偵が横行しているので、スパイ狩りのため、愛国団体が猛者たちを召集します。渡瀬さんも大暴れしているところをこの団体のボス(大木実さん)に拾われます。この猛者グループのリーダーが石橋雅史さんで、空手の達人であるのはもちろん、落ち着きのある人格者で渡瀬さんもリスペクトしています。石橋さんは足の悪い子どもがいて、大木実さんに入院費を出してもらっています。渡瀬さんは繁華街に出て、聞き込みを行い密偵を始末していきます。このとき引き連れるのが、沢村忠さんとガッツ石松さんです。単なる「顔見世」特別出演ではなく、けっこう台詞も言います。沢村さんは渡瀬さんを気に入り、「俺はあんたを気に入ったから兄弟と呼ばせてもらうぜ!」と言ったり、ガッツさんは童貞という設定で、女郎屋に連れていかれ逃げ出したり……。むしろ特別出演ぽいのは、この女郎屋のシーンで客に扮した山城新伍さんと
曽根晴美さんで、新伍さんが「この奥目!」とけなすと、曽根さんが「俺が奥目だったら、お前はデタラメだ!」と応酬する(アドリブ?)が笑えました。
こうして渡瀬さんたちの活躍でスパイを倒していきますが、実は情報を売っていた黒幕は大木実さんで、それが発覚しそうになると渡瀬さんを抹殺しようとします。大木さんに「借り」のある石橋さんが刺客となって渡瀬さんと対決することになってしまいます。壮絶な死闘の果て、石橋さんを殺す結果になる渡瀬さんは慟哭します。ラスト、大木さんに向かって「何がお国のためだ! お前のせいで鷲見さん(←石橋さんの役名)は死んだんだ!」と言うのは、大のためには小を犠牲にしても構わないという国家、権力の非情へのアンチがこめられているようです。冒頭、初めて大木さんに会ったときに渡瀬さんが「この前の日露戦争でたんまり儲けたってのはあんたかい?」という台詞もありました。いつの世も戦争を起こす奴は金を貯め込みふんぞり返り、貧しい者が利用されるのです。
最強俳優、キックの鬼、世界チャンピオン、そして極真空手の師範代・石橋雅史さんが登場する活劇には、そんな反権力テーマが底流にあったのです。 (ジャッピー!編集長)

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石橋雅史さんがいてこその「東映空手映画」

昨日の当ブログで書いたように、石橋雅史さんの東映空手映画への登場は、「ボディガード牙 必殺三角飛び」(1973 鷹森立一監督)の撮影で、既に別の人が出ていた格闘シーンが迫力がないと思った殺陣師の日尾孝司さんが旧知の石橋さんを推薦したことが切っ掛けになりました。日尾さんと石橋さんはその4年前にテレビの「特別機動捜査隊」で対決シーンがあったそうで、それを日尾さんが覚えていたわけですから、よっぽど石橋さんのアクションが本物だ!と強く記憶に刻まれていたのでしょう。ともかく、これで「ボディガード牙 必殺三角飛び」に出演、既に配役されていた人の代わりに急遽決まったのでギャラはわずか。それでも、石橋さんは「名刺代わり」だと思い、「僕を見て『こいつは使える』と思ってもらえたら」と考えたそうです。そして、その決闘シーンが素晴らしい出来で評判になり、続いて千葉真一さんが主演した「激突!殺人拳」(1974 小沢茂弘監督)では、千葉さんが直接石橋さんに電話をかけてきて出演を依頼したそうです。急いで東映京都に行くと、プロデューサーが「石橋さん、どの役がやりたいですか?」と訊いたので、準主役の役を希望し、すんなり通ります。主役の千葉さんに弟を殺され復讐に燃える役で大変目立つ役で、迫力がありました。この役が受け、映画もシリーズ化されます。こうして、ほぼ無名だった石橋雅史さんは一躍、空手映画に欠かせない俳優になったのです。この路線が当たったのは、主役の魅力と同時に、それを引き立てる敵役がしっかりしているからなのです。石橋さんの貢献度ははかり知れません。
僕も「新宿昭和館」で何本観たことか。本物の武道家が発する「気」というか、とにかく、画面に出てくるとオーラがすごいのです。この時期の空手アクションにはほとんど出ていた石橋さん、共演がいちばん多い千葉真一さんについては、同じ極真会系で稽古しているので空手は素人じゃないと評価しながらも「彼は日体大出身だから、器械体操のアクロバティックな動きを取り入れている」と指摘しています。主役なので「魅せるアクション」を考えていたのでしょう。それだけ自分の映画に対する思いも熱いものがあるのでしょうが、自分を通すあまりスタッフとうまくいかなかったことも多かったといいます。そんなときは石橋さんが「皆で作っているのだから」と千葉さんを諫めたそうです。
一方、「女必殺拳」シリーズなどで共演した志穂美悦子さんについては、「教えても飲み込みが早いし、後にも先にも彼女みたいに動ける子はいないですね。切れ味がいい」と絶賛しています。志穂美さんとの立ち回りも大変やりやすかったそうで、満足の行くシーンが撮れたといいます。ああ、悦ちゃんの映画がまた観たくなったなあ! 「華麗なる追跡」(1975 鈴木則文監督)とか。(←この映画の石橋さんもすごかった!) (ジャッピー!編集長)
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追悼・石橋雅史さん 空手映画ブームでブレイク

昨年2018年の12月19日に俳優の石橋雅史さんが亡くなりました。85歳です。石橋さんの出られた映画をずいぶん観たので残念でなりません。当ブログ4月9日「追悼・織本順吉さん」で、織本さんの出た映画をよく「新宿昭和館」で観たという話を書きましたが、石橋雅史さんの出られた作品もよく「新宿昭和館」で観ました。といっても、実録路線ではなく、「空手アクション」映画です。この路線の作品にはほとんど出ていたという印象です。ほとんどが敵役ですが、迫力ある眼力が忘れられません。
なぜ、こんなに「空手映画」に出ていたかというと、石橋さんは本当に空手の使い手なのです。それも、「空手バカ一代」で有名な大山倍達さんに頼まれ、「大山道場」や「極真会館」で師範代までつとめていた凄腕なのです。子どもの頃は柔道をやっていたそうですが、武道を続ける一方、高校でたまたま演劇部の友だちに誘われ舞台に出たことをきっかけに芝居に魅せられ、日本大学芸術学部に入ります。一方、日大空手部の主将もつとめていたのです。当時の日芸の同期には宍戸錠さんや先頃亡くなられたケーシー高峰さんもいました。錠さんなんか日活ニューフェイスに合格、中退し、早々に映画で活躍されますが、石橋さんは日大卒業後、舞台、テレビに出ていたものの、数々のバイト、そして空手の師範代で食いつなぐ下積みが続きます。映画で役らしい役がついたのが「野獣都市」(1970 福田純監督)ですから、1950年代半ばには映画で名の知られた宍戸錠さんなんかと比べるとずいぶんと遅咲きです。
そして一気にブレイクの時が来ます。「燃えよドラゴン」(1973 ロバート・クローズ監督)でブルース・リーさんが人気になります。(僕も超満員の映画館で観ました!)東映もこのカンフー・ブームにのっかって空手映画を製作します。千葉真一さん主演「ボディガード牙 必殺三角飛び」(1973 鷹森立一監督)を製作することになり、タイトルバックで格闘シーンを撮影しますが、満足できる画になりません。殺陣師の日尾孝司さんが「俺が知っている奴で本当の空手つかいの役者がいる。この役は大事だから、そいつを使った方がいい」と、テレビで共演した石橋さんを指名。探し回って、新宿コマ劇場に出ていた石橋さんを偶然見つけ、その場でオファーします。石橋さんは「もう食えなかったから即座にOK」で出演。その決闘シーンが評判よく、「東映空手路線」のレギュラーとなってブレイク。僕が「新宿昭和館」のスクリーンでよくお見かけするようになるのです。
その後は「欽ちゃんのどこまでやるの⁈」では、萩本欽一さん、真屋順子さん夫婦の家の隣人役(強面を活かして面白かったなあ!)でお茶の間にもお馴染みの俳優となりました。本物の空手アクションを見せ、テレビでも幅広く楽しませてくれた石橋雅史さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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ショーケンと勝新太郎さん

当ブログ4月11日「ショーケンと黒澤明監督」、12日「黒澤明監督と今村昌平監督 巨匠たちの狂気」で書いたように、萩原健一さんが、黒澤明監督の現場で「頭がおかしくなるくらい」の経験をしたわけですが、「影武者」(1980 黒澤明監督)といえば、主役の勝新太郎さんの降板が一番の話題となりました。この完璧主義者・黒澤監督に、やはり「俺流」の勝新太郎さん、二人の王様がいては衝突するのは当然の帰結かもしれません。僕も、勝新さんの降板のニュースを聞いたとき、どこか「やっぱりな……」と思った記憶があります。どちらも妥協しない人だから、完成すれば相当な作品になったでしょうが、その前の段階で、どちらが主導権を握るか、ある意味、二人とも「ガキ大将」だったのかもしれません。
勝新太郎さんが武田信玄とその影武者の二役となっていましたが、当初は勝さんと若山富三郎さんのダブル主演で企画されたそうです。ところが、若山さんが勝は現場で我儘だから一緒にやるのはイヤだと断ったといいます。実の兄でさえ、嫌がるわけですから、勝さんがいかに自由奔放な人かが分かります。そんな勝さんにも、黒澤さんは強い言葉を投げかけるので、リハーサルにも出なくなってしまいます。ショーケンは心配になって、勝さんがこもっていたホテルの一室を訪ねます。その部屋で、勝さんはさる有名女優と大麻を吸っていたそうです。この女優さんは、勝さんにくっついていれば「影武者」に出れると思っていたようです。ショーケンが「いい加減にリハーサルに出てきてくださいよ」と説得しても、勝さんは「役作りが……」とゴニョゴニョ言って埒があかなかったそうです。ショーケンは何度かこの部屋に通って説得を試みたそうです(内田裕也さんに同行してもらったこともあるとか)が、勝さんは応じません。どうも、もう黒澤監督に対して意地になっていた感じです。
そして、撮影に入って自分の演技をビデオで撮ろうとしていた勝さんに黒澤監督が激怒、勝さんはその場で衣装もカツラも取って降板となってしまったのです。(この日はショーケンは撮休でその降板現場は見てないそうです) 勝さんは自分で監督したこともあるし、朝起きると自分の頭の上でカメラが回り「自分=勝新」という被写体を撮っているというほどの全身表現者ですから、現場に二人の演出者がいてはぶつかるのは当然です。
ショーケンは、のちの「ブラック・レイン」(1989 リドリー・スコット監督)のときも勝さんを懸命に説得します(当ブログ4月8日参照)が、どちらも徒労に終わってしまいました。それにしても、幻となった勝新太郎さんの「影武者」、どんな映画になっていたか……観たかったです。
(ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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