ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

内田裕也さんが発掘した「タイガース」

内田裕也さんがまだ渡辺プロに所属していた1966年、大阪のジャズ喫茶(今でいう「ライヴハウス」)の老舗「ナンバ一番」を訪れて「ファニーズ」を発見します。「ナンバ一番」は兵庫出身の内田さんもかつて出演、プロへの足掛かりとなった場所であり、ここの専属になることはプロへの登竜門であるような有名な店です。ローリング・ストーンズやビートルズのカヴァーを演奏していた「ファニーズ」を観て、裕也さんは「バンドとしてのバランスがいい」と感じ、「お前ら、東京に来る気はあるか?」と声をかけます。その誘いに応じて、渡辺プロのオーディションを受け契約、上京デビューにあたってグループ名を改め……「タイガース」誕生の有名なエピソードです。ちなみに名付け親はテレビ・ディレクターで作曲家のすぎやまこういちさんで、裕也さんはガクッとなったというのが定説ですが、裕也さん自身は高校時代は野球をやっていて「阪神タイガース」ファンでしたので、案外と賛成したかもしれません。
ところが、スカウトした裕也さんが翌年には渡辺プロを辞めてしまいます。「ナンバ一番」で「ファニーズ」の演奏を観てバンドとして評価した裕也さん、実は自分のバックでその演奏力を発揮させようと考えていました。実際、東京に来てジャズ喫茶「新宿ACB」でデビューしたときは「内田裕也とタイガース」という名前だったのです。当時、タイガースも「先輩の裕也さんと一緒で心強い気持ちだった」と述べて好調なスタートを切りました。ところが、若い女の子たちに人気が出てくると、渡辺プロとすぎやまさんは「アイドル」的なスター路線を考えてます。デビュー曲も「僕のマリー」というすぎやまさんの曲で、受け取ったときにタイガースのメンバーも「何、これ、歌謡曲じゃない?」と違和感を覚えたそうです。こうして、「タイガース=ロックバンド」と考えていた裕也さんは、「アイドル」路線を進めるナベプロ側ともめるようになります。「ウエスタン・カーニバル」からも外されてしまい、ナベプロは自分をタイガースから切り離そうとしていると感じたのでしょう。
昨日の当ブログにも書いたように、渡辺プロを退社した裕也さんはヨーロッパに渡り本場のロック・シーンを体感してきます。この欧州への旅を援助してくれたのが「キャンティ」の川添浩史さん・梶子さんご夫婦でした。当時の文化人やミュージシャンなどのサロンとなっていた「キャンティ」には、上京したばかりの「ファニーズ」を裕也さんが「どんどん好きなものを食え」と連れていったのです。(「キャンティ」については当ブログ2017年3月5日「キャンティ人脈~GSからニューミュージックへ」をご参照ください) 川添さんにパリの住居を世話してもらい、裕也さんは「タイガース」の面々に見送られて、羽田から夜の便で旅立ちます。(ちなみに、その日の昼間は一緒に神宮で野球していたそうです) こうして、裕也さんはヨーロッパで「修行」し、のちの日本の新しいロックシーン開拓につなげていき、「タイガース」は日本中に吹き荒れた「グループサウンズ」ブームの中心となっていくのでした。もし、あのまま「内田裕也とタイガース」となっていたら、どんな音楽シーンが展開していたでしょうか。  (ジャッピー!編集長)
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内田裕也さんVS大滝詠一さん 1970年のロック論戦

樹木希林さんは生前「人生の最後に聴きたい曲は?」との問いに、内田裕也さん歌う「朝日のあたる家」と答えていました。その通り、昨年(2018年)9月の希林さんの葬儀で、式が終わったあと会場に裕也さんの「朝日のあたる家」が流れたとのこと。また、今年のお正月、毎年恒例の「ニューイヤーズ・ワールドロック・フェスティバル」にも車椅子に乗って登場し、1曲目で「朝日のあたる家」を熱唱したそうです。きっと、天国の希林さんに向けて思いをこめて歌ったのだと思います。
「朝日のあたる家」はもちろん「アニマルズ」で有名な楽曲です。原題" House of the Rising Sun"は元々トラディショナルで、ボブ・ディランさんも録音したことのあるフォークソングですが、エリック・バードンさんがソウルフルに歌い、全米ナンバー1になっています。裕也さんはそのカヴァーをしたわけです。
エルヴィス・プレスリーさんに憧れて音楽を始めた内田裕也さんはデビュー時、ロカビリーで登場しています。渡辺プロに所属していたので、1959年には「日劇ウエスタンカーニバル」に出演しています。(当ブログ2018年2月8日「本日はロカビリーの日です!」参照)当時のロカビリー歌手同様、洋楽のカヴァー曲を歌っていたのです。そのまま、渡辺プロにいれば、ロカビリー→カヴァーポップス→歌謡曲という流れを辿ったかもしれませんが、ロック志向を希望した裕也さんはナベプロと衝突(自身がスカウトしたファニーズ=のちのタイガースの扱いで食い違ったという説あり)、フリーになってヨーロッパを放浪します。時は1967年、ロックがよりヘヴィになり、よりアートになり、サイケになった時期です。帰国した裕也さんは「フラワーズ」(←ネーミングにも「時代」の匂いがしますね)を結成、ジミ・ヘンドリックスさん、クリーム、ジェファーソン・エアプレインなど当時の洋楽カヴァーを録音します。ヴォーカルの麻生レミさんはモロ、ジャニス・ジョプリンさんばりの歌いっぷりでした! 
本場のロックに触れた裕也さんは「ロックは日本語でやるとノラない。英語で歌って言葉が判らなくても‟のって”説得できればいい」という主張をしていたのですが、それに対して「日本語でもロックができる」と言ったのが大滝詠一さんです。ちょうど1970年「はっぴいえんど」がファーストアルバムを出した頃、このお二人の論戦が当時話題になりました。アメリカ進出を視野に入れていた裕也さんに対して「でも成功したいという理由でコピーばっかりやっているのは逃げ口上ではないですか」と大滝さん、真正面から切り込みます。けっこう激しく論をぶつけ合いスリリングでした。
僕もロックは英語が当然のように思っていたので、「はっぴいえんど」を初めて聴いたときは驚きました。サウンドだけ聴くと完全に洋楽なのに歌詞は「日本語」しかも「純文学的」なんですから。以後の音楽シーンに多大な影響を与えた名盤であることは間違いないです。そして、その翌年、1971年に裕也さんは「フラワー・トラヴェリン・バンド」を率いて、全曲英語詞、「オリジナル」のみのアルバムを発表します。「SATORI」です。これがすごかった! ハード・ロックにプログレ風味も加わってジョー山中さんのヴォーカルが素晴らしく、知らないで聴くと洋楽と思ってしまうアルバムです。「コピーばかりして」と大滝さんに言われたことに対する裕也さんの解答だったのだと思います。この「SATORI」も歴史的名盤です! 「ロックは英語か、日本語か」お二人の熱い論戦から、切磋琢磨、それぞれのグループが2枚の名盤を生んだのです。裕也さん、天国で大滝さんと再会し、またロック論戦をしているかもしれませんね。そういえば、明日、大滝詠一さん初のライヴ・アルバムが発売です。
(ジャッピー!編集長)

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追悼・内田裕也さん ロックンロールを生きた男

ロック・シンガーで俳優の内田裕也さんが一昨日、3月17日に亡くなりました。79歳です。ここ数年は車椅子に座っており、満身創痍という感じでしたが、年末恒例の「ニューイヤーズ・ワールドロック・フェスティバル」にも出ておられたようなので、まだまだ元気かと思っていました。残念です。昨年9月に樹木希林さんが亡くなってから約半年。あとを追うような形になってしまいましたが、1973年の結婚以来ほとんど別居という結婚生活、ようやく天国で一緒に落ち着いているでしょうか。それとも、照れて「てめえ、この野郎」と悪態をついているでしょうか。
前に「神宮希林 わたしの神様」(2014 伏原健之監督)という映画を観たことがあります。20年に一度の伊勢神宮の遷宮を樹木希林さんが訪ねるドキュメンタリーです。樹木さん初めてのお伊勢参りをカメラで追いながら、樹木さんの生活環境も映し出し、さらに死生観などにも触れていくのです。コンクリート打ちっぱなしの洒落た自宅(やっぱり、いい家だったなあ!)にカメラが入り、希林さんの「ティッシュ1枚でも使い倒す」というムダのない生活ぶりが語られます。そして、希林さんは「内田裕也さんの部屋」として空けている部屋も紹介します。「めったに使わないのよね。だからこの部屋はシャワーだけなの」と言ったら、裕也さんが「何でお前の部屋だけ風呂があるんだ!」と怒ったそうです。すかさず「あら、ロックは風呂なんて浸からないでしょ」と希林さんが切り返すと、裕也さんが「馬鹿野郎!ロックだって風呂に浸かりたいんだ!」と言ったというエピソードには笑ってしまいました。
こうして希林さんが裕也さんの素顔が伺えるエピソードを紹介するまでもなく、破天荒な言動で知られた裕也さんですが、けっこう「カッコ悪い」ことも多かったように思います。カッコつけようとして情けない部分も見える人でした。しかし、この「カッコ悪さ」がカッコいいというか、もがいたりスベッたり、時には無様だったり、矛盾するところも弱いところも見えるのが「ロックンロール」なんだと思うのです。生き方にウソがないというか。そういう意味で裕也さんは本当にブレずに「ロックンロール」人生を全うした方だったと思います。そして、希林さんが離婚せず見守っていたことを「純なものがひとかけらあるから」とおっしゃったのはそういう点ではないかと思うのです。何年か前に交際相手とヨリを戻そうと家宅侵入した事件のときに、記者に対し「ロックンロールに免じて勘弁してくれ」と言ったのはギャグでも何でもなく、そうとしか言えなかったのだと思います。みっともなかったり、情けなかったりしても、それがオレで、オレの生き方なんだというような。
「神宮希林 わたしの神様」は希林さんの「一言で言うと、人間っていいなあ、そんなところかな」という言葉で終わります。裕也さんとは「女と男」とか「妻と夫」とかでないレベル、魂に共鳴するものがお互いにあったのだと思います。生涯「ロックンロール」を体現され、多くの音楽、映画で楽しませてくれた内田裕也さんのご冥福を心よりお祈りいたします。ロックンロール! サンキュー!
(ジャッピー!編集長)
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「運び屋」と黒人の呼称

昨日の当ブログで取り上げた「運び屋」(2018 クリント・イーストウッド監督)は、冒頭、イーストウッドさん演じるアール(デイリリーという花を作っている)が品評会で優勝して得意満面、集まっているマダムたちに色っぽい冗談を言ったりモテ男ぶりを発揮します。このとき「ジェームズ・スチュアート」みたいという科白があったかと思います。(劇中、もう一回「ジェームズ・スチュアート」の名前が出たかな)アールを取り巻くマダムたちの世代が分かる巧みな脚本です。ジェームズ・スチュアートさんといえば、アメリカの良心を体現するスター俳優で、フランク・キャプラ監督作品なんかでお馴染みです。
実はイーストウッドさんもデビューしたときにはヒョロッとした長身もあって、ジェームズ・スチュアートさんの後継スターと目されていたそうです。いわば、アメリカの古き良き時代の青年を期待されていたわけです。そういえば、「ローハイド」のロディ役なんかはまさに気のいいアニキという感じでした。僕が初めてイーストウッドさんを観たのが「ローハイド」だったので、この印象はかなり強いです。しかし、時代は進み、映画もジェームズ・スチュアートさんが活躍していた頃とは描くものも変わっていきます。イーストウッドさんはイタリアでマカロニ・ウエスタンに出演、髭面のむさくるしいスタイルでブレイク。アメリカに帰ってからは、ご存知「ダーティハリー」(1971 ドン・シーゲル監督)で情け容赦なくマグナム44をぶっ放すハードな刑事を当たり役にしたのです。ヴェトナム戦争の泥沼化など問題が噴出したアメリカで、もはや、ジェームズ・スチュアートさんのような清潔な紳士タイプがヒーローであるには時代はあまりにもスレてしまったのです。
「運び屋」の劇中、アールが車を走らせていると、パンクして困っている黒人のカップルに遭遇する場面があります。昨日の当ブログで書いたように、アールは「タイヤひとつ直せないのか。何でもインターネットに頼るからダメなんだ」と嘆きながらも手伝います。このとき、アールは「この俺が二グロを助けてやるなんてな」と呟くと、若い黒人カップルは怪訝な顔をして「今はブラックって言うんですよ」と言います。「二グロ」という呼び名は19世紀~20世紀にかけて普通に使われていて、黒人自身も自ら称するとき「二グロ」を使っていて悪い印象の言葉ではなかったようです。(「ニガー」は当時も今も完全な侮蔑語)一方、20世紀半ばまで「ブラック」は侮蔑的な言葉でした。それが60年代に「公民権運動」が広がると、黒人たちが自分たちの肌の色に誇りを持つ意識が高まり「ブラック」という言い方をするようになったのです。黒人自ら「ブラック・イズ。ビューティフル」と主張するようになったのです。「アフロ・アメリカン」とか「アフリカン・アメリカン」という呼び方も公民権運動以後に使われるようになり、今では「二グロ」は古い人種意識の言葉となりました。このあたり、偏屈で好き勝手やっていたアールが「時代に鈍感」なことを巧く表されています。
また、かつては「マッチョ」主義と批判されることも少なからずあったイーストウッド作品(マグナム44は「男根」の暗喩だとする批評もあったなあ!)ですが、今回は「銃」を「花」に持ち替えたイーストウッドさん、ゆるやかに「時代」に沿って前に進む姿が映し出されます。 (ジャッピー!編集長)

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「運び屋」と「黄昏」

一昨日の当ブログで、昨今の洋画は原題尊重主義なのか、気の利いた邦題をつけたものが少ないなんてことを書きましたが、先日、いい邦題の作品を観ました。「運び屋」(2018 クリント・イーストウッド監督)です。原題は"The Mule"なので「運び屋」は直訳ですが、muleには「頑固者」という意味もあるので原題はダブル・ミーニングかもしれませんが、久々にストレートな邦題でかえって新鮮です。昨日の当ブログでも書いたように1970年代あたりは「突破口!」(1973 ドン・シーゲル監督)や「破壊!」(1973 ピーター・ハイアムズ監督)のようなシンプルでワクワクさせるような邦題がありました。90年代に入ってからも、イーストウッドさんの作品で「目撃」(1997 クリント・イーストウッド監督)なんて邦題もありました。原題"Absolute Power"をそのまま「アブソリュート・パワー」なんてしないでよかったです。また、直訳すれば「絶対権力」といったところでしょうが、「目撃」とした方が内容もパッと分かるしいいですね。イーストウッド作品には「昭和」感覚が合うのです。
イーストウッドさんが監督作は毎年のように公開されていますが、今回の「運び屋」、久々に主演もこなした作品です。88歳のイーストウッドさんが演じるのは、90歳の麻薬の「運び屋」役で、ここ最近のイーストウッド作品同様、実話に着想を得ています。自分の好きな仕事のことばっかりで、家庭を顧みなかった男・アールが老境に至り、ふとしたきっかけから「運び屋」になってしまうのです。劇中、アールの「仕事」を奪った「インターネット」への呪詛が何回か発せられます。タイヤ交換もできない若者に「何でもインターネットで調べるからダメなんだ」とか。相変わらず「坊や、大人の言うことは聞くもんだぜ」という感じのイーストウッドらしさですが、自分を追ってきた刑事(ブラッドリー・クーパーさん)に説教かます場面では「記念日を忘れるな。家庭は一番大事」と言うのです。劇中のアールが自分に言い聞かせるような台詞ですが、何だかイーストウッドさん自身の人生の反省というか贖罪のようにも聞こえます。
監督も俳優もこなして突っ走ってきたイーストウッドさん、一方では市長をやったり、私生活では女性関係のゴタゴタも多かったので家庭もいろいろあったでしょう。そんなイーストウッドさんご自身の来し方が重なるのです。先程あげた「目撃」でも主人公は娘(ローラ・リニーさん)と疎遠だったり、「トゥルー・クライム」(1999 クリント・イーストウッド監督)でも女にだらしなく家庭を顧みない主人公だったり、今までの作品でもモチーフになっていますが。この「運び屋」では「父親とは12年間、話していない」という娘役に実の娘・アリソン・イーストウッドさんを配したのも意味がありそうです。
といったことを考えながら観終わると、「黄昏」(1981 マーク・ライデル監督)を思い出したのでした。「黄昏」(←これもシンプル邦題だ!)では、長年、私生活で反目していた父・ヘンリー・フォンダさんと娘・ジェーン・フォンダさんが共演、和解したのでした。そして、この作品でヘンリーさんは見事にアカデミー賞主演男優賞を獲得。歴代最高齢受賞となりましたが、クリント・イーストウッドさんには是非、この記録を更新してもらいたいものです! (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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