昭和40年男 No.74「俺たちを刺激した 昭和の 長い夜」(2022/7/11発売)

¥780
税込み

■特集
俺たちを刺激した
昭和の 長い夜

誌面紹介

第一章 ラジオで造られたひとりの世界
宮沢章夫
パソコンもスマホもなかったあの頃、親が寝静まるのを見計らい、お気に入りのパーソナリティの声を聴きたくて周波数を合わせた。深夜ラジオは想像力の解放区だった。ラジオとは切っても切れない関係にある戦後サブカルチャーの歴史に詳しい宮沢章夫を講師に迎え、俺たちの深夜ラジオ史講座を開講しよう。


第一章 ラジオで造られたひとりの世界
笑福亭鶴光
俺たちが学生時代、学校は月曜から土曜の週休一日。あくる日が休みで夜更かしできるのは土曜の夜しかなかった。その土曜日の深夜、男子のほとんどが楽しみにしたのが『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』だったのだ。


第二章 ブラウン管からの刺激
泉 麻人
テレビが変わった。80年代初めに思春期を迎えた昭和40年男はそんな思いを強くしたに違いない。それまで、夜11時以降のテレビは親(大人)のもので、子供は観てはいけないものとされていたのが、徐々に門戸が開かれていった。深夜のテレビ番組は昭和40年男のさまざまな欲求を満たしてくれた。


第二章 ブラウン管からの刺激
山崎美貴
1980年代の深夜テレビはまぶしいほど煌々と輝いていた。そのきっかけを作ったのが83年に放送がスタートした『オールナイトフジ』である。あれから40年近くの年月が経とうとしているのにその残像は昭和40年男の目に焼きついている。


閑話休題
昭和のホラー真夜中の怪
俺たちが小学生だった頃、夜9時以降は大人の領域であり、踏み込むことのできない未知の世界だった。24時間煌々と灯りが照らす現在には存在しえない深い闇が、至るところに広がっていたあの頃、夜は子供たちを不安と恐怖に駆り立てる最凶の舞台装置だった。


第三章 思春期ゆえの葛藤
黒沢哲哉
中高生の頃、銭湯の脇やたばこ屋の隣にエロ自販機が堂々と鎮座しているのを見かけた読者も多いはず。大人の入り口へ誘うあの怪しげな装置はいつどうやって生まれ、なぜいつの間にか街角から消えてしまったのか。昭和40年男ならば一度はお世話になったであろう、昭和の夜を彩った夢の装置の盛衰を辿る。


第四章 ナイトタウンカルチャー
DJ OSSHY
「昭和の夜の遊びというとディスコしかなかった」。今回取材したDJは皆が口をそろえてそう言った。昭和40年男の青春時代、1980年代にそれぞれの地で活躍した“今なお現場で現役を続ける”4人のDJからあの頃のディスコナイトを聞いた。


連載インタビュー 「神のみぞ知る God Only Knows」
松村邦洋
昭和40年男が20代前半を迎える頃、テレビのモノマネ番組で人気を勝ち取り90年代のスターダムを駆け上がった男、松村邦洋。同時代を生きた彼の人生と、当時の芸能界について小説家・樋口毅宏が迫ります。


夢、あふれていた俺たちの時代 昭和54年
映画『さらば青春の光』
モッズを捨て、青春にさよならを告げ、大人にならなきゃいけない。そんな残酷さを痛切に描いた映画『さらば青春の光』。ザ・フーの名作『四重人格』を原作とした本作を、18歳で封切り初日に観たザ・コレクターズの加藤ひさしは「青春映画の頂点!」と断言する。